【vol.60】「好き」って何?(ゆり)

ブログを書くにあたって、何をテーマに書こうかととても悩みました。
私の研究テーマは「若者の不満・愚痴」というものですが、初めてのブログの題材とするには少し暗く、重たいテーマだと思い、本当に悩みました。そこで、無難に私の好きなものについて語ろうかと考えたのですが、私の好きなことや好きなものを考えたとき、アイドルであったり、漫画やアニメであったり、家族や友達のことであったり、食べること、寝ることであったり、挙げだすときりがありません。どの種類の好きについて語ろうかとたくさん考え、また悩んだ結果、「好き」とはなんだろうというゲシュタルト崩壊のようなものを起こしてしまいました。

なので、今回は具体的な好きなものについてではなく、悩むうちにわからなくなった私の中の「好き」という抽象的な感情について考えていこうと思います。

先ほども述べた通り、私は好きなものが多いです。でも、どれも「これだけは譲れない、誰にも負けない」というようなものではありません。特別人よりお金と時間をかけているわけでも、全力で追求しているわけでもないです。広く浅く、なんとなく好きというようなものばかりです。また、趣味に関してはこちらが一方的に追うものであって、その対象から見返りを逐一求めているわけではないと思うのですが、身近な人間関係の「好き」に関しては見返り、つまり相手からも好かれたい、嫌われたくない、という思いを抱く人も多いと思います。しかし、私は人から好かれるということにも特に固執しません。

もちろん、人から嫌われたいと思う人は少ないと思うし、私もどちらかというと嫌われたくはありません。でも、人に好かれたい、好きでい続けてもらおう、という思いはあまりないです。仮に好きである友達に嫌われたとしても、悲しくはなるでしょうが、そこからもう一度好かれようだとか嫌わないでくれとすがりつくということはしないと思います。来るものは拒まず受け入れるけれど、去る者についても特に追わないといった感じです。

ここで、私が考えた「好き」を皆さんに共有しておきます。私は、「好き」とはその対象に執着する、あるいはそれに関して嫉妬という感情を抱くことであると考えます。恋人同士の束縛やペアリングといった目に見える形の印、アイドルの同担拒否という文化も、ある人が好きだから起こる現象なのかなと思います。好きだから、自分がそれに対して一番でありたいと思うし、誰にも負けたくない、あるいは取られたくないという他者に対する競争心が芽生えたり、好きな対象に没頭するのだと思います。

この自分の「好き」に対する考えに基づくと、私は執着心が他の人に比べると薄いのかなと思いました。好きなアイドルや俳優がいても、その人を一番好きなのは私である、ということは一切思わないし、同じ人を好きな人、いわゆる同担を見ても、特に何も思いません。また、先述したように、もし好きな人に嫌われたとしても、傷つきはするけれどそこまで引きずらずに受け入れますし、自分を嫌っている相手があまり興味のない人であれば、どうでもいいとすら思います。

「好き」には執着心や嫉妬心が備わっているものであると上に書きましたが、好きなものに執着や嫉妬をすることは決して悪いことではないと思います。執着や嫉妬することにも体力や時間が消費されるし、それだけその対象に好意を抱いているということの表れであると思うからです。また、一般に愛情が深いと表現することも、過干渉であったり他者への牽制であったりと、好意に嫉妬や執着が混じっているものを指すと考えるからです。

ただ、私は好きな人であっても必要以上に干渉されることは鬱陶しいと感じるし、私の人間関係に口出しをされると煩わしい、面倒くさいと感じてしまうので、執着されるのは好きではないです。この部分だけを見ると、私は恋愛面においてだいぶ不向きですね(笑)。

私にも大切な友達はもちろんいるし、その人たちのことを私は確かに「好き」であり、尽くせる対象であると感じます。いやな部分があってもそれを上回るくらい良い部分を知っていたり、悲しんでいたら一緒に悲しくなったり、多少自分の身を削ってでも守りたい、元気づけたいと思えるくらいには好きだといえる子がいます。

それでも相手に嫌われたら受け入れるのは、私が執着されることを嫌いであるからかもしれません。自分がされて嫌なことを、自分の好きな人にすることが許せないという考えが、私の人に対する執着心を薄めているのだと思います。また、もしかすると、私がまだ好きである友達に直接的な敵意を向けられたことがなく、誰かにあからさまな嫌悪感を露わにされたことがない幸せな状況にいるから、このようなことが言えるのかもしれません(敵意や嫌悪感を向けられていてもそれに気づかない幸せな頭をしている可能性もありますが)。もしいつか、私が独占欲を丸出しにしてしまう対象に出会い、この人がいないと生きていけない!などと言い始めたら、その時は、私の中の執着心が強まったのだな、好きに深みが増したのだな、と温かく見守りください(笑)。

以上、私の中の「好き」という感情について考えてきましたが、考え整理する中で、「好き」というプラスである感情にも執着や嫉妬といったようにマイナスと捉えることのできるものが備わっていると気づきました。様々な技術の発達やSNSの普及に伴い、他者の動向監視などが容易くおこなえるようになった今、好きな人の周囲の人間環境を見ることも可能です。この他者に好意を寄せる「好き」というプラスである感情が、嫉妬や妬みを生み、もしかすると現代の若者の不満・愚痴にもつながってくるのではないかなと、自分の研究にも生かしていけそうな新しい発見がありました。些細な疑問からもっと研究の幅を広げていきたいと思います。

(5期生 ゆり)