私は現在ハワイに留学中である。私はハワイで生活する中で、日本の文化の素晴らしさや、逆に日本にはない海外の素晴らしい点など、様々なことに気づかされる機会がある。
例えば、日本人は勤勉と言われることがあり、「社畜」というような言葉もある。だが、それゆえに日本人の繊細で細やかなおもてなしが可能になるのではないかと思う。ハワイの方は友好的でとても話しやすいという印象を受けるが、やはり100%の信頼を持つことは難しい。以前、ある頼みごとをした際に、何も告げられず他のことをしていて困ったということがあった。このような面ではしばしば困ってしまう時もあるが、あまり日本人のようにストレスフルに働いていたり生活をしているようには見えない。そしてエレベーターに乗る際に“Hello” と言ったり、レジをする際に”How are you?” と聞かれ、少し会話をしたり、目があった場合は笑いかけるなど、オープンマインドな印象を受けた。たしかに全員がそういうわけではないが、そのような人が多い。このような点は日本人の引っ込み思案というか社交的ではない点に相反して見習う点だと思う。
しかし私が今回、最も感じたのは、イメージと現実のギャップである。多くの人がハワイといえば、海が綺麗なリゾート地であり、一度は行ってみたいと思う場所ではないだろうか。しかし、たしかにハワイはリゾートに違いはないが、ワイキキや公園、バス停などには多くのホームレスの方が生活しており、ゴミを漁り、物乞いをしている姿をたくさん見かける。ハワイは常夏であるため凍死することがないと、アメリカ本土からホームレスがやってきたり、低賃金と全米でもトップの生活費の高さゆえにホームレスが急増していることが問題となっている。また、つい先日まで約2ヶ月間の間、ホテルの従業員が低賃金を訴え、ストライキを行なっていた。その間、そのホテルのレストランは閉店し、ルームサービスやハウスキーピングなども行われなかったそうだ。
このように多くの人がハワイに対して持っている「綺麗事」なイメージの裏には、リゾートとはかけ離れた現実がある。勝手なイメージによって本質を遠ざけてしまっている。ハワイへは旅行に行くだけだし、本質なんて関係ないと思う方もいるかもしれないが、ハワイに限らず自分の持っているイメージが現実とはかけ離れており、本質を理解できていないということは放っておいてもいいことだろうか。
自身が持っている”盛られた” “映えた”勝手なイメージ、もしくは、それらとは反対のイメージを持っていて、実際に見てみると全く違っていたということを多くの人が経験したことがあると思う。話してみると意外と気が合うし良い子だったということや、良い子だと思っていたら裏で悪口を言っているということや、思っていたのと違うなんてことはざらにある。私たちは勝手にイメージを持ち、過度に期待したり蔑んだりする。頭の中で作り上げられた他人やものに対する勝手なイメージを、私たちは現実と比較し、落胆したり、喜んだりする。話したこともない、体験したこともないことに対して勝手なイメージをはめ込み判断することは、相手側からするといい迷惑であり、時に私たちは損をすることもある。
しかし、私たちは勝手なイメージをすることをやめることはできないのではないだろうか。わざわざそのイメージが真実かフェイクなのかを確かめることなんて面倒だし、違おうが違わなかろうが当事者にはどうでもいいことだろう。だが、勝手なイメージを持ち本質を理解できていないことは、確実に私たちにはマイナスであることは確かだと思う。物事を判断する際に本質を理解していなければ、軽率な判断をしてしまうことは目に見えている。自身が勝手なイメージを持つことは良いが、他人が自身に対して勝手なイメージを持つことは許せないというようなこともあるだろう。
現在も多くの人が誰かや何かに対して良いイメージまたは悪いイメージをもって日々を過ごしている。真実のイメージを作ることもフェイクのイメージを作ることも容易いことである。そして、誰かをそのイメージにはめ込んでいる自身もまた、誰かのイメージにはめ込まれている。イメージにあふれている社会、本質を見抜けない、見ようとしない現代をどのように思いますか。
(3期生 はせがわ)