【vol.30】はせがわのハワイ滞在記

私は現在ハワイに留学中である。私はハワイで生活する中で、日本の文化の素晴らしさや、逆に日本にはない海外の素晴らしい点など、様々なことに気づかされる機会がある。

例えば、日本人は勤勉と言われることがあり、「社畜」というような言葉もある。だが、それゆえに日本人の繊細で細やかなおもてなしが可能になるのではないかと思う。ハワイの方は友好的でとても話しやすいという印象を受けるが、やはり100%の信頼を持つことは難しい。以前、ある頼みごとをした際に、何も告げられず他のことをしていて困ったということがあった。このような面ではしばしば困ってしまう時もあるが、あまり日本人のようにストレスフルに働いていたり生活をしているようには見えない。そしてエレベーターに乗る際に“Hello” と言ったり、レジをする際に”How are you?” と聞かれ、少し会話をしたり、目があった場合は笑いかけるなど、オープンマインドな印象を受けた。たしかに全員がそういうわけではないが、そのような人が多い。このような点は日本人の引っ込み思案というか社交的ではない点に相反して見習う点だと思う。

しかし私が今回、最も感じたのは、イメージと現実のギャップである。多くの人がハワイといえば、海が綺麗なリゾート地であり、一度は行ってみたいと思う場所ではないだろうか。しかし、たしかにハワイはリゾートに違いはないが、ワイキキや公園、バス停などには多くのホームレスの方が生活しており、ゴミを漁り、物乞いをしている姿をたくさん見かける。ハワイは常夏であるため凍死することがないと、アメリカ本土からホームレスがやってきたり、低賃金と全米でもトップの生活費の高さゆえにホームレスが急増していることが問題となっている。また、つい先日まで約2ヶ月間の間、ホテルの従業員が低賃金を訴え、ストライキを行なっていた。その間、そのホテルのレストランは閉店し、ルームサービスやハウスキーピングなども行われなかったそうだ。

このように多くの人がハワイに対して持っている「綺麗事」なイメージの裏には、リゾートとはかけ離れた現実がある。勝手なイメージによって本質を遠ざけてしまっている。ハワイへは旅行に行くだけだし、本質なんて関係ないと思う方もいるかもしれないが、ハワイに限らず自分の持っているイメージが現実とはかけ離れており、本質を理解できていないということは放っておいてもいいことだろうか。

自身が持っている”盛られた” “映えた”勝手なイメージ、もしくは、それらとは反対のイメージを持っていて、実際に見てみると全く違っていたということを多くの人が経験したことがあると思う。話してみると意外と気が合うし良い子だったということや、良い子だと思っていたら裏で悪口を言っているということや、思っていたのと違うなんてことはざらにある。私たちは勝手にイメージを持ち、過度に期待したり蔑んだりする。頭の中で作り上げられた他人やものに対する勝手なイメージを、私たちは現実と比較し、落胆したり、喜んだりする。話したこともない、体験したこともないことに対して勝手なイメージをはめ込み判断することは、相手側からするといい迷惑であり、時に私たちは損をすることもある。

しかし、私たちは勝手なイメージをすることをやめることはできないのではないだろうか。わざわざそのイメージが真実かフェイクなのかを確かめることなんて面倒だし、違おうが違わなかろうが当事者にはどうでもいいことだろう。だが、勝手なイメージを持ち本質を理解できていないことは、確実に私たちにはマイナスであることは確かだと思う。物事を判断する際に本質を理解していなければ、軽率な判断をしてしまうことは目に見えている。自身が勝手なイメージを持つことは良いが、他人が自身に対して勝手なイメージを持つことは許せないというようなこともあるだろう。

現在も多くの人が誰かや何かに対して良いイメージまたは悪いイメージをもって日々を過ごしている。真実のイメージを作ることもフェイクのイメージを作ることも容易いことである。そして、誰かをそのイメージにはめ込んでいる自身もまた、誰かのイメージにはめ込まれている。イメージにあふれている社会、本質を見抜けない、見ようとしない現代をどのように思いますか。

(3期生 はせがわ)

【vol.29】アイドルに必要なものは何か?(韓国オタク)

あなたはアイドルに必要なものは何だと思いますか?

いま、日本のアイドルに必要とされているのは「可愛さ」「愛嬌」「個性」だと言われています。日本のアイドルは主に未完成型とされ、アイドルが成長していく過程をファンと共にすることが醍醐味とされます。日本のアイドルファンは彼女たちの未熟な部分も受け入れ、またそのような部分も「個性」として売りにしています。また実力よりも、ステージやイベントでの対応によって人気を得ていくのです。

それに対して、韓国アイドルは主に完成型とされており、デビューするまでに練習生として数年間は事務所で練習を繰り返します。月末評価で練習の成果が発揮できなければ、デビューすることもできず、完全実力主義とされています。また韓国アイドル達に求められるのは歌やダンスの実力だけではありません。

例えば、「体型管理」もその1つです。まず韓国アイドルのほとんどは身長が高く、痩せ型であるのはみなさんご存知だと思います。しかし、それは彼女たちの努力によって維持されていることを忘れてはいけません。彼女たちの食事は、忙しいスケジュールにも関わらず、豆乳や野菜だけで済まされています。もし、少しでも太ればSNSで比較写真をあげられ、叩かれることが多々あります。よって彼女たちが受けるストレスは、私達には計り知れないものだと感じます。

また、韓国アイドルは世界進出を前提としてデビューするので、「語学」の面でもひたむきな努力をしています。特に近頃は、韓国語ができる外国人メンバーがいるチームが多く、TWICEもその代表的な例と言えるでしょう。韓国以外の国でデビューした時に、翻訳なしで話してくれる姿にファン達はとても心を打たれます。

最後に、韓国アイドルとして逃れられないのが「外見至上主義」です。韓国アイドルは可愛い、綺麗なのは当然。そうでなければ、整形します。日本人の私たちからは理解できないかもしれませんが、これが当たり前の世界なのです。

だからといって、日本のアイドルと韓国のアイドルのどちらが優れている/劣っているといった話をしたいのではありません。両方に違った魅力があるのです。

最近「PRODUCE 48」という、日本のアイドルと韓国アイドルが一緒に戦いながら1つのチームを作るサバイバル番組が放送されました。そこで日本語と韓国語両方の歌詞で作られた歌を歌うミッションを出されたのですが、やる前から諦めてしまう韓国人練習生が多い中、実力的には圧倒的に劣る日本人アイドルたちは、そこで諦めるのではなく最後まで歌えるように必死に練習する姿が映し出されていました。こういったひたむきな姿を見て、日本のアイドルの良さも実感しました。

それでも、やはり私は韓国アイドルが好きです。アイドルに完璧主義を望む私にとって、彼女達は憧れの存在であり、刺激を与えてくれる、夢を見させてくれるような存在なのです。彼女達のひたむきな努力から作り出された外見は輝いており、そんな人形のような子達が繰り広げる圧倒的な舞台からは目が離せません。それは全て彼女達の絶え間ない努力から作り出されたものだと知った時、あなたも応援せざるをえなくなることでしょう。もし少しでも韓国アイドルについて気になった方は、「PRODUCE 101」というオーディション番組を見てみてください。もう何も手につかない程、応援したくなる子が見つかると思います。

(3期生 韓国オタク)

【vol.28】あなたは「さずかり婚」に賛成ですか?反対ですか?(まえち)

「さずかり婚」ではなく、「できちゃった結婚(デキ婚)」と聞くと良くない印象を受けるので、反対派の人が多いのではないでしょうか?

私も「デキ婚=学生同士の過ち」という印象が強く、さずかり婚には否定的な考えを持っていました。現代では、学生同士のさずかり婚の多くは「過ち」だと認識されます。私の知人にさずかり婚で学生を辞めざるを得なくなり、その後、離婚してシングルマザーとなった子がいます。知人には申し訳ないですが、学生という経済力がない時期に子どもを産むことは少し無責任のような気がします。また、「望まない妊娠」の場合は年齢を問わず結婚に至らないだけでなく、中絶によって女性の身体を傷つけることにもなりかねません。また結婚したとしても早期離婚が多いように感じます。子どもを産むのは女性です。すなわち女性は子どもからは逃げられません。女性が望まない妊娠をパートナーに告げ、それを知った途端にパートナーに捨てられた、逃げられたといった話を耳にすることがあります。そうした事実から、さずかり婚にはマイナスイメージが強いのかもしれません。

こういった望まない妊娠を事前に防ぐために、学生のうちから機能的なだけでなく、倫理観に重きを置いた性教育を行うべきだと思います。男性は妊娠しない分、子供を授かるということについて女性よりも軽視しがちです。その対策として、望まない妊娠でパートナーを捨てた、パートナーから逃げた場合に重い罰を科すなどの対策をとるべきです。しかし、いくら避妊していても、望まない妊娠を100%防ぐことはできません。

ここまでさずかり婚の「過ち」の側面にスポットを当ててきましたが、ここで見方を変えてみましょう。事実婚のカップルにとって、さずかり婚は籍を入れる良い機会になり、不妊症に悩む夫婦にとっては子どもを授かることはとても羨ましいものです。ここ近年の出生数全体の約4分の1がさずかり婚によるものだというデータもあります。女性の社会進出により、未婚化、晩婚化が進み、少子化という大きな社会問題を抱えている現代にとって、さずかり婚はそれぞれ個人にあったライフスタイルを受容しながら、少子化問題を解決していくひとつの鍵になってくるのではないかと感じます。

しかし、事実婚は法律婚より下位にあるといった考えが現代には根強くあります。また、独身者は一人前として認められず、肩身の狭い思いをするだけでなく、世間からは結婚を半ば強制的に押し付けられることもあります。このような固定観念が「結婚→子作り」というさらなる固定観念につながっています。さずかり婚を受容していくならば、まずはこういった世間の固定観念を壊していくところから始めていくべきです。

ここまで書いてきて、「さずかり婚」は事例によって善し悪しが変化するもので、他人が一概に正しいかどうかは決められない、むしろその善し悪しは表裏一体のように感じるようになりました。今の私には、さずかり婚に賛成か反対か、白黒つけることは難しいです。

しかし確実に言えるのは、さずかり婚を肯定するか、否定するかは世間の声にかかっているということです。

そこで皆さんにもう一度質問です。

あなたは「さずかり婚」に賛成ですか?反対ですか?

(3期生 まえち)

【vol.27】ぬるま湯に浸かってるだけでいいの??(はせがわ)

みなさんには“私の居場所”と言えるものがありますか?

家族、学校、バイト先、それぞれにどこかしら居場所と言えるものがあるかもしれないし、はたまた、そんなものはないと言う人もいるのかもしれませんが、居場所にいると心地が良くなってしまい、そのままそこから抜け出すのが億劫になってしまいがちです。

しかし、ずっとそんなぬるま湯に浸かっているというのも、つまらないと思いません?いつまでも既存の居場所に居座り、何の刺激も受けないなんて、そんな人生楽しいのでしょうか?

少なくとも私はそうではありません。確かに同じ居場所にいても多少の刺激はあるかもしれませんが、その人の世界はとっても狭いものなっちゃいます。だから積極的に外部の人ともコミュニケーションを図る努力をしたいんです。いろんな人に出会い、いろんな人の話を聞いたり、自分の話を聞いてもらったりして、その中で学ぶことはきっとたくさんあります。

私はある番組で特集されていた相席屋(※初めて会う男女をマッチングして相席にする居酒屋)がとっても面白そうだと思って、友達と行ってみることにしました(出会いを求めたのではなくて、興味本位です。ここだけは誤解のないよう。。。)。結論から言うと、普通に楽しかったです。確かに出会いを求めているような人もいないわけではありませんでしたが、社会人の方と話すのはまだまだ知らないことをいっぱい学べるとってもいい機会だと感じました。また、いろんな知識を得られるだけではなく、どう会話を続けるのか、どうすれば話してくれるのか、どうやってうまくかわすのかなどなど、人との接し方だって学べるんです。

つい最近、友達が働いているゲストハウスで知り合ったイギリスの方と、その場の流れで次の日に京都をみんなで案内しました。その方は日本語を勉強していて、私は英語を勉強したいから、お互いがお互いの先生であり生徒になります。国境だって超えちゃうんです!

という感じで、いろんな人と出会えば、それだけ何かしら学べることがあるかもしれません。確かに危ないことだってあるかもしれないし、そんなの怖いと思うかもしれませんが、それはやってみなければわかりません。現状維持で満足するのもいいですが、より刺激を求めてほんの少し飛び出してみるのもいいかもしれませんよ。

(3期生 はせがわ)

【vol.26】わたしの「就活」は大学のため? (たなばた)

あなたはなぜ、奈良県立大学に入学しましたか?

観光の勉強がしたかった…家から近かった…理由はいろいろある。

まわりから「国公立大学の方が就職に有利」そんな言葉を聞いてなんとなく県大を選んだ人も少なくはないはず。わたしもそのうちの1人。別に大した夢もなく、でも大学卒業したら就職するしな〜って思ってた。

高校生の時なんて、目の前にあるキラキラした大学生活にしか興味はなかった…。就活?そんなのだいぶ先じゃない?

なのに、どうして多くの大学では大学卒業後の進学先や、こんな資格取れます!といったような「就活」を見据えた学校のアピールが増えているのだろう。

こんな大手企業に入社しました!とか就職率○○%なんて、学生の努力を大学が売りにして学生を集めるのは何か違うのではないか?

大学とは本来は勉強する場であって、就職先を紹介する場じゃない。

ちなみに「就活」という略称が定着したのは2000年代。前例として学活(学級活動)、部活(クラブ活動)などが挙げられる。「就活」という略称も学校文化と近しいどこか同学年全員で取り組むべき学校行事のような流れからきている。

しかし、「就活」は自己分析や自分の人生設計など、将来を考え、自分自身をみつめなおす大きな転換期である。

これは自分自身のもので、どこに就職しようが学生の勝手だし、ましてや卒業してから就職をするかしないかも自由である。

なのに大学側からの「就活」の流れにわたしも含め学生たちは知らない間に乗ってしまっていて、何となく3回生だからインターンに行こかなとか考えてしまう…。

大学に利用「される」のではなく、大学を利用「する」わたしのための「就職活動」がしたい。

(3期生 たなばた)

【vol.25】結婚に縛られない生き方(エビフライ)

今回のテーマは結婚です!

みなさんは結婚についてどのように考えていますか?昔はみんなが結婚をして当たり前の時代でしたが、現在では結婚はする人もいればしない人もいます。今回は結婚の自由ついて、その現状を踏まえながら考えていきたいと思います。

現在、出会いの場を提供する、いわゆる婚活産業が盛んになっています。それらの婚活支援は結婚をしたいのに機会がない人々にとって大きな手助けとなっています。しかし一方で、結婚をしたくないのに周囲から強く勧められたり、婚活をすることで心身ともに疲弊し、婚活疲労外来に通う人々もいます。

では、そもそも結婚とは、たとえその人に結婚する気がなかったり、心身ともに疲弊してまで無理やりしなければいけないものなのでしょうか?

私は、結婚はしたい人がすればいいし、必要のない人は無理にしなくてもいいものだと思っています。

とはいっても、未だに未婚者に対する理解はまだまだ追いついていないように感じます。実際に「あの人〇〇歳なのに結婚してないらしいよ」と、まるで一定の年齢になれば結婚しているのが当たり前のような発言を聞いたり、私自身も以前はそのような人に対してマイナスのイメージを持っていました。

しかし、この前のゼミの議論で、現代では女性の社会進出や職業・娯楽の増加、交通・通信網の充実などにより、結婚という選択に縛られなくても様々な時間の使い方、生き方があるのだと気付かされました。かつては結婚をして女性は家を守り、男性は外で働くという生き方が社会的に一般化されていましたが、時代は変わりました。女性も男性も、一人でも十分な収入を得、一人でも十分楽しむことができるのです。また、一人ならなお、気軽にどこへでも好きなところに行き、好きなことをすることができます。そのため、結婚はみんながみんな、必ずしもしなければいけないものではなくなったのです。

けれども、もちろん、人それぞれ「私は絶対に結婚は必要だと思う」とか、いろんな考え方を持っていていいと思います。「絶対に未婚に賛成しろ」などとは言いません。私自身もなんとなく結婚はしたいとは思っていますし、未婚になりたいとは積極的には思っていません。私が一番言いたいことは、人それぞれ結婚観を持つことは自由ですが、他人は自分と同じ結婚観を持っているとは限らないということです。その人に対して自分の結婚観を押し付けたり、偏見を持ったりするのは違うということです。私たちはそのことをよく理解し、他者に配慮しながら関わっていくべきではないでしょうか。

(3期生 エビフライ)

【vol.24】SNSとの距離のはかりかた (おふとん)

はじめまして、おふとんです。

ブログを書くのは初めてで、上手く書けるか心配です…

今回は、SNSと私たちとの距離のはかりかたについて書いていこうと思います。

ソーシャルメディアとは、人々が交流したり、情報、アイディア、画像や動画を共有したり交換したりすることができるウェブサイトやアプリのことです。

インターネットの匿名性に伴う不安を解消するために、近年では実名での利用をうたうサービスも多く登場しています。そして、スマートフォンの普及により、ソーシャルメディアは私たちにとってより身近なものとなりました。

しかし、ソーシャルメディアが発展・浸透していくなかで、「ソーシャル疲れ」という問題が起こっています。たとえば、LINEを既読のまま放置したり、LINEのメッセージは返していないのに他のSNS(TwitterやInstagram)を利用(投稿やいいね、リツイートなど)したりしていると、相手に不快感を与えてしまうのではないかと不安になったり、実際に相手から責められることも少なくないように思います。LINEの返信の速度や内容、また、誰に優先的に返信をするかなど、様々なことに気を遣わなければ、些細なことでもいじめや人間関係の悪化につながる可能性もあるのです。私たちの生活を豊かにしてくれるはずのソーシャルメディアが、私たちから自由を奪っているのではないでしょうか。

では、「ソーシャル疲れ」とはどうして起こってしまうのでしょう…?

これは、SNSと私たちがうまく距離をはかれていないからではないでしょうか。たとえば、メールよりも簡単にメッセージを送りあえるようになったLINE。使い方は人それぞれですが、LINEは業務連絡を行う以外にも、もっと日常的な会話を行うツールとして利用されている場合も多い気がします。実際に私もLINEでしょうもない会話をしたりしています。ですが、忙しい時や返すのが億劫になるような内容の時、ついつい後回しにしてしまいます。

最近も、あまり関わりのない人からのLINEを、急ぎの内容ではなかったので既読を付けた状態で二日ほど放置していたら「人間のクズ!」と追撃メッセージが送られてきました。びっくりしました。SNSは相手の顔が見えない分、つい過激な発言をしてしまったり、簡単に人を傷つけてしまったりすることもあります。ゼミでのディスカッションでも、SNSによる「ソーシャル疲れ」から逃れるには一度すべてのSNSから距離を置くしかないのではないかという話になりました。しかし、現代社会でSNSから完全に距離を置くことは大変難しいことだと思います。そこで、やはり重要になってくるのは、SNSでも対面のコミュニケーションであっても、自分以外の相手がいる場合では常に思いやりを持つことだと思いました。

知っている人とも知らない人ともつながることができるソーシャルメディアと私たちの距離が付かず離れず、ちょっぴり温かなものでありますように。

(3期生 おふとん)

【vol.23】表現する世界に関わる人生を歩みたい(まいまい)

はじめまして!ブログ初心者まいまいです。

テーマを何にしようかなとずっと考えていたけれど、

やっぱり思い浮かばない…

ので春休みに就活や遊びを通して考えたことを書いていこうと思います。

この春休みは就活という言葉を何度も何度も聞きました。

一人で電車に乗っていても就活、友達と遊んでいても就活、親に会っても就活どうなん?

もう就活就活うるせーよ!と叫びたくなるほどに聞きました。家では本当に叫んでますが(笑)

大きな声で叫ぶとスッキリしますよ!

「就活=自分と向き合うこと」ということを聞いたことがあります。

そんなことからこの春休みは、自分のしたいことは何か、どんな職業に就きたいか

ということをよく考えていました。

どんなに考えても調べてもピンとくるものがなくて、

働きたい気持ちは大きいけれど自分が働いている姿を想像することができず、

不安でいっぱいになるときもありました。

そんな気持ちを抱きながら、少しでも自分の気になる企業があればいいな~

というかる~い気持ちで、3月の初めに合同説明会に行ってみました。

様々な業種の企業があって、

聞いたことのあるものから聞いたことのない企業まで時間の許す限り回ってみました。

しかしピンとくるものはありませんでした。

出展企業の中に、芸術関係の企業がたった1つだけありました。

私は演劇サークルに所属していて、芸術には足を少し突っ込んでいるのですが、

これを仕事にするのは、4年制の大学に行かせてもらって、学んできたこととも違う気がするし…

と考え、初めから聞くつもりはなかったんです。

が、その企業のブースを通りがかった時に声をかけていただいて、

他のどの企業とも違うブースのデザインにも惹かれ、最後に聞いてみることにしました。

もう聞き終わった直後は、なんて楽しそうなんだろうと、

それまで聞いて回った企業の話を忘れそうになるぐらいに興奮していました。

でも自分がどんなに楽しそうだと思っても、

親にここに行きたいと伝えた時に何て言われるかわからないし…

と親がどう思うかということばかり考えて、

家に帰った後は諦めの気持ちで、また企業どうしようかな~なんて考えてました。

そんな風に就活をする一方で、友達や後輩が出演する劇を観たり、

つい先日は「The Greatest Showman」という映画を観たりしました。

この映画は、人を喜ばせることが好きなP.T.バーナムという少年が、

大人になってサーカスをつくり、多くの人を笑顔にさせ、幸せにするショーをつくる

という物語なのですが、ミュージカル映画になっていて、

歌と音楽と踊りが私を感動で包み込みました。

この春休みは感動を与えてくれる芸術にたくさん触れる機会があって、

やっぱり私は「表現する」ということが一番好きなんだと気づくことができました。

親に何を言われるかわからないから、

なんて理由で自分のしたいことを諦めるなんてもったいないと思えました。

こんなに好きだ!と思えることに出会えた春休みは、

たとえ就活が他の人より全く進んでいなかったとしても、

私にとってはとても意味のある春休みだったな~と思います!

最後に「The Greatest Showman」の中で、私の心に深く残った名言をどうぞ!

「The noblest art is that of making others happy.ー最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだー」

私も、感動と幸せを与えてくれる「表現」と「芸術」の世界に深く関わる人生を送りたいと思います。

長々と自分語りをしてしまいましたが、最後まで読んでいただけたなら幸いです。

(2期生 まいまい)

【vol.22】就職活動において大切なこと(濱名)

いま、就活真っ最中で、就活のことしか頭になくて、これ以外のことを書きたかったのに、なにも思いつきませんでした。就活は嫌なイメージでしたが、新しい発見や、新たな人との出会い、また自分と向き合う時間にもなり、案外楽しいです。行くのはめんどくさいけど、行ったら行ったで楽しいです。

ところで、、就活生は皆、内定をとることばかり考えています。だから、興味のない企業にもとりあえずエントリーして、志望動機もこじつけのように考えます。しかし、これではもし入ることになっても、興味ないし、つまんないしで、仕事が嫌なものになります。ある企業の人事の方が、新卒生の7割は仕事に後ろ向きである、その原因はいまの社会人が、死んだような目をして電車に乗り、大学の先輩が来たら仕事はしんどいから今楽しんどけよ、とか、仕事に対してマイナスのイメージを与えているからだ、とおっしゃいていました。確かにその通りで、働きたくないっていう声を、同期でよく聞きます。そもそも、いまの社会人がしんどそうなのは、興味のない企業に入ったからではないでしょうか。私たちと同じように内定をとることだけを考えた結果なのではないでしょうか。

だから、就活において捨ててはいけないのは、自分が何をしたいのか、だと思います。偽りの自分をつくって、自分じゃない自分でその会社に入っても、待っているのは後悔だけです。だからといって、選り好みしすぎたらどこも内定取れないみたいな状況になるかもしれません。じゃあもっと視野を広げて、自分がやりたいことをするためにはどんな能力が必要か考えます。そして、その能力が養える会社を選ぶのも一つの手だと思います。とにかく、自分に嘘をついたっていいことは何一つないのです。素の自分を受け入れてくれる会社が、ほんとうに合っていると思います。

因みに、就活をしていて、志望動機を聞かない会社が多いなと思いました。むしろ、どのように活躍したいのか、将来どんな風になりたいのかということを、聞かれることが多いです。会社側もちゃんと将来を考えている人を選びたいんだと思いました。

こんな偉そうに就活について語る僕は、内定はまだ一つもなく、3回もお祈りされました(笑)。もう、かなり焦ってます。ということで、自分を落ち着かせる意味でも、こんな内容にしてみました。参考程度に。

(2期生 濵名 航)

【vol.21】「迷う」をポジティブに考えてみる(ひ)

こんにちは。

初めてのブログ更新、とても緊張しています。

私は地図と女性の関係性について研究しています。世間では一般的に「女性は地図が読めない」と言われていますが、その一方で、近年は「地図好きな女性」が注目されつつあるように感じます。このような地図と女性の関係性の変化は、価値観や文化、意識などの社会的要因が関係しているのではないかと仮定して、ジェンダーの観点から研究しようと考えています。

さて、少し前の話になりますが、私は昨年12月に、「迷う」をキーワードにした山下耕平さんの個展「WOODS」を鑑賞してきました。今回のブログではその展覧会のことと、道に迷うことについての私の考えを書こうと思います。

山下耕平さんの個展「WOODS」は、大阪市にあるTEZUKAYAMA GALLERYにて開催されました。山下さんは「遠近」や「現在位置」といった距離感覚を作品の一つのテーマにしているそうです。この展覧会では、山下さんが登山中に遭難しそうになった時の体験をもとにした作品が展示されていました。

展示室に入ってみると、避難小屋の造形作品や、いくつもの十字路を撮影した写真、人物写真の上をルーペが動いている作品などが展示されており、表現方法が多様だなという印象を受けました(作品の写真がないうえに私の説明が下手なので、とても理解しにくいですよね…)。

TEZUKAYAMA GALLERYのホームページに、山下さんによるステートメントが掲載されているので引用します。

[ステートメント]

今この場所にいることを不思議に思います。

僕は一体どこに立っているのだろうかと。

遠くの山にいても、近所の歩道にいてもそれは等しく同じです。

住み慣れた街で。

どこか見知らぬ土地で。

時々、道に迷うことがあります。

そういう時ほど心が高揚するものです。

自分が存在している場所を必死で見つけようとするから。

不明瞭である、という事は決して悪いことばかりではない

ということでしょうか。

山と街とを繋ぐフィールドを「森」とするならば、

鬱蒼とした木々の中を彷徨う、

そのような関係性の場を作っていきたいと思っています。

(http://tezukayama-g.com/exhibition/woods/ より引用)

「迷う」って聞くと、モヤモヤぼやけていてどこにいるのかわからない、みたいなイメージが思い浮かびます。でも、言われてみれば確かに、迷っている時こそ自分がどこにいるのか考えるし、反対に、迷うことなく移動している時は、自分のいる場所がはっきりしているのに、そのことを意識することってあまりない。当たり前のことなのかもしれないのですが、私はこのような考え方をしたことがなかったので、とても新鮮に感じました。

山下さんとは違う理由ですが、私も迷うことには良い面もあると考えています。

例えば、私はたまに道に迷うことがあるのですが、偶然迷い込んだ場所で素敵な服屋さんや雑貨屋さんを発見すると、こういう時は道に迷うことも悪くないなと思います。約束に遅れてしまったり、時間を無駄にしてしまったりと、迷うことに対してのイメージってあまりよくないと思います。でも、迷うことは、新しい発見や出会いのきっかけにもなるんじゃないかなと考えています。

とはいえ、身の危険を伴う場合や、大事な予定に遅刻しそうな時なんかは、そんなことを考える余裕はないと思うし、道に迷うこと自体をおすすめしているわけではないです。でも、ちょっと道に迷った程度なら、自分の行動範囲を広げることになるし、偶然の発見に出会うチャンスだと思います。そんな感じで、もし道に迷った時は「道に迷っていなかったら見逃していたような場所に行くことができたんだな~」とポジティブに考えてみるのも良いかもしれません。

(2期生 ひ)

【vol.20】筋トレをして良かったこと(蒲原)

私は趣味で筋トレをしています。すると、「なぜ筋トレをするのか」と質問をされますが、私はうまく答えることができません。

一般的には「他のスポーツに活かすため」「健康のため」「ダイエットのため」「モテるため」などでしょうか、筋トレをする理由は人それぞれにあります。私が筋トレを始めたのは、自衛隊に入っても困らないようにするためですが、辞職した現在もなぜ筋トレをしているのか、自分でもよく分かりません。

しかし、筋トレをしていて良かったと思えることはたくさんあります。単に体力がつくのはもちろんですが、人間の体に関する生物学的な知識や、栄養学的な知識、人間が痩せたり太ったりする仕組み、トレーニング理論などの様々な領域に触れることができました。そして、それらの科学的な理論を学ぶと、どれだけ多くの偏見や歪曲された考えが社会に蔓延っているのかが見えました。筋トレの範囲ではありますが、人の思いこみや無根拠で間違った理論に、実際に触れることができたのは良い経験です。

また、筋トレを通して哲学的な反省もありました。日本では、地道な努力や一生懸命になることに美徳を見いだしますが、それは間違いだと思うようになりました。筋トレにおいては、ただがむしゃらに長時間ハードなトレーニングをすれば結果が出る、ということはありません。 現在の私の筋トレは、筋トレを始めた頃よりも短時間でイージーです。しかし、しっかりと筋量は増えています。 正しい方法は1つではないですが、正しい方法に則らないと結果はでません。そして、もっと早く大きな効果を得たいなら、さらなる知識が必要となります。私は身をもってそれを体験しました。

その過程で気づいたのは、大切なのは近道を探すことだ、ということです。地道な努力をしているから、いつか結果が出ると思っていても、その努力は何も生み出さないことも多々あります。そこで効率を上げ、結果を出すための戦略が必要となります。その戦略とは、言い換えれば近道です。それが重要なのです。近道を見つけて早く結果を得る。その結果、先に先に進んで行くことができます。この哲学は、これから就活を経て社会人となった後でも役に立つと思っています。

長々と筋トレをして良かったことを書いてきましたが、私は筋トレを皆さん全員に勧めるつもりはありません。たまたま、筋トレと私の相性が良かったから、多くを学ぶことができたのだと思います。自分が能動的に、主体的に、楽しくできるものに出会えた、というだけです。そのようなものを見つけたいけど見つからない、という人には、試しに筋トレをしてみることをおススメします。

(2期生 蒲原)

【vol.19】Happy Birthday(よしだ)

2月も終わりに差し掛かかりました。そんな中、私事ではありますが、2月の初めに誕生日を迎えました。これまで支えてくれた周りの人々に感謝しかありません。

部活の皆と一緒に誕生日当日を迎えた時、ふと思いました。「いくつになっても誕生日は嬉しいものなのだろうか」と。

まずは誕生日の歴史から。もともと日本には誕生日をお祝いする習慣がありませんでした。昔は数え年で年齢を数えることが普通で、お正月がくるとみんな一斉に年をとっていました。ちなみに日本で最初に個人の誕生日を祝ったのは、織田信長だったという説があるそうです。誕生日の歴史…意外と深いですよね。

私は幸い、今のところ全ての誕生日を嬉しいと思えています。でも、もっと大人になって30代になった時、40代になった時、今と同じ気持ちで喜べるかはわかりません。

また誕生日をそこまで気にしない人もいると思います。しかし、いくら気にしないにしても、やっぱりおめでとうって言ってほしいですよね。スルーされるのは寂しいですよね。

結局、年齢どうこうでなく、お祝いしてもらうというのはいくつになっても嬉しいことなんじゃないでしょうか。その日の主役は自分だけなんですよ。誕生日は誰にでもある記念日です。生きている限り、お祝いし続けてもらえる日があるなんて幸せでしかないですよね!!

これから迎える誕生日をぜひ楽しく過ごしてください。それが何歳になる時であれ、その日は人生で一度切りの特別な日ですから。そして毎年「いくつになっても誕生日は嬉しい」と言い続けたいものですね。

(2期生 よしだ)

【vol.18】サウナの勧め(藤嶽)

どうもはじめまして3回生の藤嶽です。

世間は2月中旬、大学生は春休みに入りました。

僕はと言えば、来たる卒論や就活の事で鬱々としてます笑

そんな気分が上がらない時は気分転換だってことで、

僕がよく気分転換に行くのサウナについて書いていきます。

サウナの魅力を少しでも伝えられたらなって思います。

サウナの効果で一番はじめに思いつくのは発汗力です。

この発汗が体内の老廃物を排出し、

血流が良くなることで疲労も軽減されます。

サウナ後の汗もサラサラになります。

もう一つ大事な事は水風呂に入ることです。

水風呂に入ることで、熱々の皮膚が冷たさに反応して引き締まります。

また、サウナで汗をかいた後、水風呂に入ることで、

自律神経が刺激されて気分がシャキッとします。

【サウナの入り方】

まず入浴前に身体を洗います。どうせサウナ入ったら汚れるじゃんって

思うかもしれないですが、先に身体の汚れを落としておくことで汗をかきやすくなります。

びちょびちょでサウナに入ると迷惑なので軽く身体をふいて、

後はサウナに入ってひたすら無心で発汗します。

体中から余計なものが出て行く感じがとても良いです。

サウナからでたら足下から水をかけていき汗を流します。

軽く水に慣れたらゆっくり水風呂に入ってください。

火照りきった身体が急速に冷却されてなんともいえない爽快感があります。

身体の芯まで冷えると風邪ひいちゃうので程々で出てください。

水風呂は冷たすぎるって人は冷ためのシャワーで汗だけ流してください。

んで、その後は適当な場所に座ってひたすらぼーっと休憩したら気分リフレッシュです。

後は冷えてきたら湯船に浸かって、

身体が落ち着いたらまたサウナに入ってを繰り返すのが良いと思います。

お風呂から出る頃には出すもん出して思考もさっぱりして頑張ろって気になります!

世の中めんどいことや、不安とか色々あるかもしれないけど、

みなさんも趣味でも友達でも何でもいいんで、

たまには気分転換しながら日々お過ごしください。

僕も休み過ぎやろって言われない程度に頑張っていけたらなって思います笑

(2期生 藤嶽)

【vol.17】犬ってかわいいですよね(おおえ)

突然ですが、犬ってかわいいですよね。

最近もっぱら世間は猫ブームですが、犬ってすごくかわいいですよね。

とはいっても、私も犬を実際に飼い始めるまでは「猫も犬もかわいいわ~比べられんわ~」という立ち位置だったのですが、今では犬を飼い始めたきっかけである妹よりもかわいがっています。いうても猫もかわいいんですが。

犬の良さとしてあげられるポイントのひとつに「散歩」があげられると思います。でも、この点が忙しい現代人にとって負担に感じるから、猫派が急増しているのでは?と思わないでもないのですが、私は散歩が好きです。犬の散歩をしていると、同じく犬の散歩をしている人と会話が生まれるんですよね。この前はシーズーとヨークシャテリアを連れたおばあちゃん二人組とお話ししました。これってすごいことだと思うんですよね。道端でたまたま会った初対面の相手とお話しすることってそうそうないですよね。犬を連れていなければ、すれ違っていただけのおばあちゃんだったわけですよ。そう思うと心がほっこりするんです。

あとはたまに遠出して近所の堤防にいくんですけど、めっちゃ季節を感じる。桜が咲いてたり、空が雲ひとつない晴天だったり、風がめちゃくちゃ冷たかったりっていう。最近久しぶりに堤防まで行ったんですが、風が死ぬほど冷たかったですね。でも、空が青くてきれいで気持ちよかったです。「あ~めっちゃ冬やなぁ~」と思いながら歩きました。こういうのんびりした時間こそ、忙しい日本人に必要だと思います。もっとみんな心にも時間にも余裕をもてるような社会になって、あらためて犬の良さに気づいてほしいものです。

最後に卒論のテーマについて書こうと思います。現段階では「SNSを利用していない若者の意識」について考えていく予定です。今やSNSを利用していない若者のほうが少数派ですが、じゃあそういう人たちはなんでしていないんだろう?利用者は承認欲求からSNSをやっているというけど、じゃあやっていない人は?というふわっとした疑問から深くしていけたらいいなぁと考えてます。あんだけ犬について書いといて、テーマとは全く関係ありませんが、犬に癒されながらがんばります。

(2期生 おおえ)

【vol.16】社会学は何の役に立つか(松岡)

今回は「ゼミ生のブログ」ではなく、スピンオフとして松岡が書かせていただきます。

大学が「就職予備校」化し、学生の学ぶ意欲が低下していると言われています。ある調査結果によると、就職のために大学に入ったという学生が増加する一方で、学問だけでなくモラトリアムや遊びという目的すら希薄になっているというのです。それでも、今の学生が昔の学生に比べて一概にダメだというつもりはありませんし、学生たちをそうさせている社会的要因があることも理解しています。それに今の学生だって、それと意識していないだけで、結果的に大学生活をモラトリアムとして活用し、様々な経験を通して人間的に成長しているのだと思います。しかし、やはり大学教員としては、それだけでOKというわけにもいきません。われわれには、たとえ学生に煙たがられようとも、学問の意義を説く義務があります。

とはいえ、かならずしも職業に直結しない人文系の学問が何の役に立つのかを、われわれ教員が十分に伝えることができていないというのも事実です。役に立つ/立たないという次元で物事を考えるのはあまり好きではないのですが、特に社会学は何の役に立つのかがわかりにくい学問なので、就活の時にアピールするのが難しいという声もしばしば耳にします。私もどんな言葉でそれを伝えればよいのか、まだまだ模索中ですが、さしあたり、社会学は物事を広い視野で柔軟に捉える力を身につけることができる学問であり、それは、この生きづらい社会をしなやかに生きていくための大きな武器になると言うことができるでしょう。社会に出れば、学生時代には経験しなかったような困難や問題に必ず直面します。学生時代には出会わなかった色々な立場の人と出会います。そこで、色々な問題に対処するための思考力、色々な人を理解するための想像力を養うのが、社会学のような学問なのだと思います。

ある学生が「学問よりも、部活やサークルで培われるコミュ力の方が役に立つ」と言っていましたが、複雑な社会で生きていくためには、同質的な学生間で通用する表面的なコミュ力よりも、もっと多面的なコミュ力(例えば、伝える力、聞く力、理解する力)を身につける必要があり、社会学のような学問はそのためにも役立ちます。この社会にはどんな人がどんな価値観で生きているのか、いまの社会はどんな流れや状況にあるのかを知ることは、どんな仕事をする上でもきっと役立ちます。営業だって公務員だって「社会」や「人」ありきの仕事なわけですから、「社会」や「人」を理解する力はとても大切ではないでしょうか。そして社会学では、社会や人を理解するために、さまざまな方法で調査をおこない、信頼に足るデータをコツコツ収集するわけですが、このようなリサーチ能力も、さまざまな仕事に活かされることでしょう。また、企画やマーケティングの仕事においても、現代人の多様な価値観や嗜好性を把握するための社会学的思考は不可欠だと思います。自分・友人・家族だけでなく、社会にはもっと多様な立場・価値観で生きている人がいること、常識とは絶対的なものではなく時代や社会によって変化しうることを念頭に置いておかないと、あらゆる場面で判断ミスをおかす恐れがあります。あるいは、ビジネスだけでなく、結婚や子育てといったプライベートな領域においても、自分の問題を社会のしくみと結びつけて相対化することができれば、その時々の社会状況をふまえた適切な判断や行動選択ができるでしょう。さらにミクロなレベルでは、社会学を学ぶと他者への理解力が高まり、会話の幅も広がるので、他者とのコミュニケーションもしなやかなものになると思います(かく言う私はそんなに優れた人間なのかというツッコミどころは大いにありますが、ここでは置いておきましょう)。

たしかに、学問は難しいです。特に、社会学はややこしい学問です。私自身も逃げたくなることがあります。それでも、難しいこと、ややこしいことから逃げてはいけません。学問に向き合うということは、いずれ降りかかってくるであろう難しいこと、ややこしいことに向き合うための訓練でもあると思います。表面的なコミュ力や狭い知識では対処しきれない問題に立ち向かうには、物事をじっくりと広い視野で洞察する力が必要になります。

また、現代は不透明な社会ですので、そのなかで、ビジョンを描けず、刹那主義に逃げる若者の気持ちもわかります。けれども、不透明な社会だからこそ、その社会を何とか見通すための思考力と想像力が必要なのではないでしょうか。不透明だからと諦め、安易に適応してしまうのではなく、長期的で広い視野をもって不透明さに対峙するために、社会学のような学問を学ぶ意義があるのではないでしょうか。

社会学は、自分で問いを発し、自分が興味のあるテーマを自由に追究できる学問ですから、「興味がないから頑張れない」という言い訳は通用しません。自分の興味があることにすら向き合えない人が、社会に出てさまざまな難問に向き合っていくことができるでしょうか。

もちろん、学問だけが人を成長させるわけではありません。大学生活は貴重なモラトリアムですから、学問以外の様々な経験も大切です。むしろ学問ばかりではバランスが悪いでしょう。それでも、せっかく大学に来ているのだから、学問にもしっかり向き合い、せめて自分で選んだ研究はやり切って、人間的に成長してほしいというのが、私の切なる願いです。

(松岡)