【vol.15】社会学を学ぶ意味(もが)

私は自分が何になりたいのか、何をしたいのかがずっと分からなかった。それを一番痛感したのは、大学受験が始まりだった。担任の先生と面談をし「何学部に行きたいの?」「どんなことを学びたいの?」という問いにほとんど答えられなかった。というよりは全く思い浮かばず「分かりません」と答えていた。だから私は学部ではなく、自分のレベルにあった大学を中心に受けていた。周りは自分のやりたいことや学びたいことを見つけ、そんな人たちがとても羨ましく、自分と比較し、そんな自分が嫌だった。そもそもなぜ大学に進学したのか。それは大学へ行くことが世の中の当たり前だと思っていたから。みんな行くものだと思っていたから。そう周りに流され、影響されたのである。私みたいな若者はおそらく少なくないだろう。なんとなくみんなが行くから大学へ進学してみる、なんとなく就職に有利だから行ってみる。こんな理由で大学生になってしまった人は私だけではないのだと思う。

そして次に痛感したのが就活だった。就活は大学受験以上に自己分析を求められた。どの就活攻略本にも「まず自己分析をしよう」「自己分析が一番重要」と書かれていた。私は就活の時に初めてちゃんと自分と向き合い、自分は何がやりたいのか、自分はどういう人間なのかをじっくり考えた。しかし全然思い浮かばず、そんな自分がまた嫌になった。そして就活をする以前に、日々、社会に目を向け、自分に向き合い、社会の中で自分がどうあるべきかをもう少し深く考えていたらなと感じた。

私はこのきっかけは社会学が与えてくれるのではないかと思う。私はまだまだ社会学について勉強不足であり、熟知しているわけでもないので、こんな私が言うのもあれだが、私は県大に入り、都市文化コモンズに入り、社会学を学ぶ機会が増えた。私の生活を取り巻くもの何でも研究対象となり、それが社会とどう関係し、また私たちとどう関連しているのかなど、人々の社会生活を深く考えることができると思っている。答えが一つとは限らないため、様々な視点で物事を考えることができる。そして大学という色々な人が集まる場で社会学を学ぶことで、沢山の考え方や視点を吸収することができる。いま思えばこんな貴重な場って、なかなかないなとひしひしと感じている。そしてそんな素敵な時間を私は活かしきれていなかったと後悔した。

たしかに特に目標もなくなんとなく過ごしている人、将来を深く考えず今が楽しければいいと思っている人は、現代の若者の中で増えていると私も感じている。そのような若者は社会学と出会い、そこで自分の視野を広げると、今の自分から少しは成長できるのではないかと思う。そしてどんどん社会に対して批判したり、指摘したりして、自分の考えを常に持つべきだったのではないか感じている。今の若者は保守的な考えを持ちがちで、自分の意見を持たず、なんとなく周りに合わせていかに浮かないようにと考えているのだろう。

私は大学に入る前、社会学を漠然と捉えており特に何も知識はなく、特に興味もなかった。しかし社会学の授業をとり、普段生活している社会のことを少しずつ知っていくのが面白く感じた。そして今までなかった視点を持つこともできた(私はこういう場をちゃんと自分に生かすことができなかったかもしれないが…)。これは自分のやりたいことを持つ上で、とても活きてくると思う。だから、いま自分のやりたいことが漠然としていて分からないという若者はもう少し社会学に触れてみるべきではないだろうか。社会学は人間力を育てる上で重要な材料の一つだと思う。特に私と同じ「何がしたいのか分からない」「何に興味があるのか分からない」という人に薦めたい。この文章を書いていて、私の大学生活4年間は悔いの残るものだったなあと思ったので、後輩たちには、少しでもこの4年間という沢山の事を学び吸収できる貴重な期間の中で、色んな視点を持って過ごしてほしいなと思う今日この頃である。

(1期生 もが)

【vol.14】量を重視する日本の大学教育(E)

日本の教育制度/就職活動について誰かが、日本の大学とアメリカの大学の違いを言っていました(たしか、県大の英語の先生か、カナダに留学に行っていたときの先生だったか、何かのテレビ番組だったと思いますが、どれだったかは忘れました)。日本の大学はめちゃめちゃ単位をとらないといけない、と。授業も1日に何コマも入っている。先生1人に対して、生徒は何十〜何百人。予習はいらなくて、ただ授業を受けて終わり。携帯いじっていてもオッケー。一夜漬けの勉強でテストはほぼ大丈夫。一方、アメリカの大学の単位はそんなに多くはない、と。だから授業も1日1コマとかそんなもん。先生1人に対して、生徒は数人くらい。だからこそ、予習をしていないと授業についていけない。その予習もネットで数十分ほどで調べたものではついていけず、図書館で何冊も本を借りて、授業があまりない分、その時間を予習に使っている、と。予習してきたものをもとにみんなで議論し合うから携帯をいじる暇もない。テストも一夜漬けでは絶対無理。1つの授業の単位を取るのも難しいのがアメリカの大学。というか、おそらく日本以外の国の大学はそんな感じなのだと思います。

就職活動においても、日本は、みんな真っ黒のスーツを着て、同じような髪型をして何十社も受ける。面接では個性を押し殺して、協調性があるように振る舞う。一方、アメリカは、何十社も受けず、自分が行きたい会社にインターンに行く、と(記憶が曖昧なので間違っていたらすみません)。インターンとして働いて、正社員になっていく。その面接で「趣味はなんですか?」と聞かれたら「寝ることです」と答えても、全然良いのだとか。日本の面接で「趣味は寝ること」なんて答えようものなら、即不合格でしょう。

このように、日本の大学は量を重視する。広く浅く。何コマも授業をとっては消費することの繰り返し。一方アメリカの大学は質を重視する。狭く深く。本当に専門的な知識が身に付く。

日本の場合、大学(頭いい)に入るのは大変だけど卒業するのが簡単(入ってしまえば大体は卒業できる)、アメリカの場合は、入るのは簡単だけど卒業するのが難しいから、留年する人や中退する人が多いと聞いたことがあります。日本の大学は卒業するのが簡単だから、大卒っていう肩書きのために、特に目的もなく大学に入る人が多いのではないでしょうか。

ただ、このアメリカの制度をまるまる日本に当てはめることは不可能だと思うので、アメリカの大学の教育制度をすべて真似しろとは言いませんが、今の日本の大学の、量に重きを置くスタイルは少し変えた方が良いように思います。

(1期生 E)

【vol.13】「実感」が若者を変える(おやま)

私の問題意識は、「若者は意欲を持たなければならない…!」でも「若者は社会に目を向けなければならない…!」でもない。いまどきの大学生は、と述べているのは、経験を積み学識のある大人たちである。学生運動などの話を聞くと、大人たちの時代は、若者が動くことで自分たちが社会を変えることができる実感があったのではないかと思う。社会に目を向けることがムーブメント化していたように感じる。また、複数の世帯で生活していた時代、過去の歴史的事実を自らの経験を持って語ることができる祖母や祖父の存在もあり、社会問題というものが身近だったのではないだろうか。しかし現代は、自分が動き出しても社会を変えることができる実感が持てない。そのため現実として「意欲や興味を持つことができない」のである。

とはいえ、興味を示さないなど意欲を持たなければ危険な状態になることは事実である。「自分には関係ない」「自分の一票の投票で社会が変わるはずはない」と感じていた若者は、もしかすると自分たちの選択で戦争が起こるかもしれない状況になってしまったことに、直前になって気付くかもしれない。

そこで、私が問題意識を持っているのは教育機関である。これから考えていくべきことは、どうすれば意欲がもてるのか、興味を持てる場をどのように作っていけばよいのか、ということではないだろうか。

私は興味を持つ、意欲を持つために必要な起爆剤は「実感」だと思っている。私はあることがきっかけで沖縄の平和祈念資料館に後輩たちと行くことがあった。後輩はガマの洞窟のレプリカに入ろうとしたが、戦時中の様子をあまりにも鮮明に想像してしまい、恐怖のあまり気分が悪くなってしまった。その後、体調が戻った後輩は、戦争の歴史が展示してあるコーナーに足を踏み入れた。後輩たちは年表を見つけるとこう言った。「あ、これ世界史で勉強したことある!懐かしい〜!」 この言葉を聞いて私は、はっとさせられた。歴史を教えるということによって、子どもたちにどうなってほしいのか。例えば、過去の過ちである戦争を繰り返さないようにすること、という意見は多いだろう。しかしただ年号と出来事を覚えるだけで、戦争はしてはいけない、戦争をしたくないという気持ちにはならないのではないか。そこで私は「実感」することの大切さを思い知った。今、私の後輩はガマの洞窟での暗く恐ろしい体験から「こんな生活は絶対に送りたくない」と感じたはずだ。戦争が起こると自分にとってこんなに嫌な気分になるのか、という「実感」を持ち、戦争を起こしてはならない、では戦争を起こさないためにはどうするべきか、と考えられる人間が社会に出ていくべきではないのか。

行動に移すには、必ず自分の何かしらの気持ちが必要である。しかし今の教育現場では、社会に出ていく人間に伝えるべき大切なことが教えられていないのではないか。もっと「実感」を持ち感情を育てるような機会を用意するべきである。手段は二の次でよいと感じる。気持ちのないまま手段にこだわり行動に移しても、失敗するか長続きはしないだろう。

「実感」するために必要なことは何か。大きく分けて二つあるのではないかと考える。

一つ目は、何か経験をした当事者の話を直接聞くこと。例えば戦争体験者の話を聞くことは、自分も実際に戦争を体験しているかのような感覚になる。戦争に限らず、海外に行った人、出産をした人、甲子園に出た人、など様々なことが考えられる。

二つ目は、興味を持つべき事柄を自分に関係のあるものとして繋げる作業をすることである。例えば、音楽好きな若者がいて、興味を持ってほしい原発再稼働問題に無関心であったとする。この若者自身は「原発が再稼働する」という事実には興味が持てなくても、原発再稼働による事故のリスクにより、発電所周辺で毎年行われていた音楽フェスのイベントが開催中止になってしまったとなれば、原発再稼働問題に興味を持つことができるのではないか(極端かもしれないが)。

このようにして、意欲・興味を持つことができない若者にどのようにアプローチをするかを工夫する必要がある時代に突入していると感じる。ただ「こうあれ」ではなく、何故そうなるべきなのか、そうなることによってどのような影響があるのか、というように、点ではなく線で考えなければならないと感じる。

(1期生 おやま)

【vol.12】「人間力」をつけられて困るのは誰だ?(ふなはし)

就活において、「人間力」を個人で上げられるようになると困る人は誰でしょうか。就活コンサルタントや新卒就活サイト運営会社(あえて名前は出しませんが)のような就活エージェントではないでしょうか。彼らは、新卒就活対策のイベントやアプリ開発をしてお金を稼いでいるわけですし、「大学生活で早いうちに就活を始めないと…」とか先輩のエントリー数を引き合いに出して私たちを脅し、自分たちが開発したもので就活してほしい、というのが本音だと思います。コツコツと「人間力」を上げられる人なら、「私はこれになりたいけれど、今の私にはこれが足りない。じゃあ、それを補うためにこれをしよう」と考え、実行に移してしまいますから就活エージェントの出る幕がありません。

違う話になりますが、企業も所詮、大学を就職予備校としか見てないと思います。その証拠に今の時期から研修や内定者課題を出しているところが多いですし(その研修や課題にも教材を提供する業者が関わっているし、ここでも企業が得をするようにできている気がしなくもありませんが)。昨今、ブラック企業やパワハラに対する世間の目は厳しくなっていますから、昔のように表立って使い捨ての駒のように新卒を扱うことは少なくなっているでしょう。しかし、それでも本音は「即戦力になってくれて長く働いてくれる人が欲しい」ではないでしょうか。だから今のうちから研修して入社後、即戦力になってもらう、懇親会を開いて辞退されないようにするという行動を取っていると思います(懇親会の最大の目的は内定辞退の防止だそうです)。就活対策本を読んでいても、結局は「大学生活で得たものを御社でこのように生かすことができる」アピールをしろ、ということしか書いていません。今までの習い事、大学の授業やゼミ、卒論でやったことすらそう変換しないといけないようで。私ならそういう方向ばかりでアピールする人は敬遠してしまいます(その就活本で一番驚いたのは「あなたの短所は何ですか」という問いに対して、意識の高い志望者は「その仕事をする上で自分に足りない能力を言うものだ」と書いていたことです。そんな風に捉える人いるの!?って思いました…)。

自分のやりたいことやろうする上で足りないものを自覚して行動に移す、このような「人間力」をつけられて困るのは「人間力」のない彼らを利用して一儲けしようとする連中です。私たちがずっと「人間力」を持たずに愚かなままでいてもらわないと儲けられなくなる、というのが魂胆でしょう。

そこで、「人間力」をつける方法として提案したいのが、ズバリ日記です!!人から教えられてしまったらそれこそ自己啓発セミナーとか、胡散臭いネットビジネスとか、そういうものではないでしょうか。先生も前おっしゃってましたが、日記は思考力と表現力を同時に鍛えるものですし。今日一日を振り返り、限られたスペースに一日の魅力を余すところなく収めるには…と考える。こんなにすごい「人間力」の筋トレはないんじゃないでしょうか?

(1期生 ふなはし)

【vol.7】本日はお風呂に浸かりましょう(青山)

こんにちは、青山です。来年の春卒業を控えているみなさん、卒業の実感はありますか?私はこの奈良県立大学での4年間、自分のビビビッという直感や大好きなことを学問として認めてくれる先生や友達に囲まれており、めちゃくちゃに幸せでした。この場をお借りして感謝を伝えます。ありがとうございます。

大学生になって一人暮らしをするようになり、ビビビッときたもののひとつに「銭湯」があります。私の家はユニットバスなので、なかなかお湯をためる気分になれないのです。みなさんは銭湯を利用したことがありますか?

私の家の近くには、なんともかわいらしいおばあちゃんが番台の、敷島温泉という銭湯があります。おばあちゃんは耳も遠くお釣りの計算もお客さん任せ、といったところもありますが、お風呂に入る私たちを一生懸命見守ってくれています。

私の銭湯での楽しみはなんといっても「裸の付き合い」です。だから銭湯には一人で行くことが多いです。お風呂に浸かると立場や年齢関係なく、とりとめのない話をするのです。先日は「あのマンションが建っているところは昔、川が流れていて、桜が綺麗やったんやで」と奈良の昔話も聞きました。(あのマンションがどのマンションかよくわからなかったけど。笑)

お風呂に浸かる瞬間、みなさんは何を考えますか?私は銭湯の大きなお風呂に浸かるとき、なーんにも考えません。ただただ幸せを噛みしめるのです。そしてその瞬間に日頃のちょっとした悩みやもやもやが解消されます。え、そんなことだったん?と心の器が大きくなった気がします。

私は、銭湯は世の中を幸せにする力があると思います。銭湯の大きなお風呂に浸かれば、嫌な気持ちはなくなり、悪いことをしようという気にもならないと思います。みんながそんな気分になれば、犯罪だって戦争だってきっとなくなっていくのになぁ…と思います。イライラした人がいたら、いったん風呂に浸かれ!と言いたい。

さてそんな大好きな銭湯をテーマに卒業論文を執筆しているわけですが、一向に進んでおりません!なんということでしょう。はあああああ、もやもやしてきたので、いったん銭湯に行ってきます!(本日は東京、小杉湯へ)

(1期生 青山)

【vol.6】趣味(もが)

趣味って様々ですよね。

マンガ、スポーツ、音楽鑑賞などなど。

でも、いざ「趣味は何ですか?」と聞かれると、すぐ答えることができる人ってそう多くないと思います。

以前、ネットニュースで、「若手社員の3人に1人が無趣味」という記事を見たことがあります。3人に1人は言い過ぎかもしれませんが、確かに無趣味な人って多いのかなと感じます。でも社会では趣味の話になることって多々ありますよね、、、。

例えば、私が最近“趣味”で困ったこと。それが就職活動です。

まず履歴書に趣味・特技の欄って必ずといっていいほどあります。

私はその欄に何を書けばいいのかとても悩みました。

「え!!趣味って何!!!」「特に趣味という趣味がない!!!」

他にも面接の時に「趣味とかってあるのー?」とか、「休み日って何してるのー?」とか。

上手く答えられなくて困った人も少なくはないと思います。私もその一人です(笑)

よく「寝ること」「食べること」って答える人もいますよね。でもこれってたしかに趣味と言えば趣味だけど面接とかの場ではなかなか言いづらいし、、、。

そういう時、自分の趣味がスラーっと言える人のことすごく羨ましいな~って思っていました。逆になんでそんな趣味があるのって思いました(笑)

でも実は本当に無趣味な人っていないんじゃないかなって思います。

それはたぶん「すごく得意じゃないと趣味と言ってはいけない」「それを極めていないと趣味じゃない」などといったネガティブな考えが、自分は無趣味だという人が増えている原因なのかな~っと。

私は、好きなことは自信を持って趣味と言っていいと思います!ちょっとでもはまっていること、興味があること。中には周りに言いにくい趣味だという人もいるかもしれないけど、それもあなたにとっては大切な趣味の一つではないですか?それを大切にしてほしいな~と。いや、どの立場で言ってるんやって感じですけど、私はそう思います。

そんな私ですが、私の趣味の一つはジャニーズです。これを趣味だと人前で言うのにはかなり抵抗がありました。そして正直に言うと、今も少し言いにくいです。ジャニーズが好き=現実を見れていないという偏見があるのではないか、痛いと思われるのではないかなど、良いイメージがないだろうと勝手に思っているのだと思います。やっぱり人の目は気にしちゃいます、、、。でも実際はそういうわけでもないし、私の周りのジャニオタの中にはちゃんと恋愛している人だっているし、自分を磨いて美意識を高くもっている人だって沢山います。ジャニーズだけでなく、他の趣味に対しても人々は先入観や偏見を持っていることが多いと思います。これも仕方のないことなんですけどね。

好きなものを好きだと言うのは簡単なことではないと思いますが、でもそれは自分を構成する大きな要素だと思うので大切にしていきたいなと感じています。私はジャニーズにはまって楽しいことも沢山あるし、得られたものも沢山あるので、ジャニオタしていて良かったな~と思っています。余談ですが、実際に私は就活で「趣味は何ですか?」と聞かれたら迷わず「ジャニーズです!」と答えるようにしました。案外反応は悪くなかったので、もしこれを読んでいる人の中にジャニーズが好きな就活生がいたら是非言ってみてください(笑)

そんな私の話はどうでもいいのですが、今回「趣味」というテーマで書かせてもらって、ちっちゃな趣味でも、あんまり人に言いたくない趣味でも、別に人前で堂々と言わなくてもいいので、ネガティブにならず、胸を張って趣味だといってほしいなって思います。

しかしこれだけ無趣味、無趣味って言ってきましたが、この松岡ゼミのみんなは一人ひとりしっかり趣味を持っている個性豊かなメンバーです。なのでゼミで討論する時、みんな色んな興味関心を持っているので、様々な視点からの意見が飛び交い、結構面白いです(笑) 面白いだけじゃなく、とてもそれがプラスに働いて、新しい発見や色々なことを吸収することができているので感謝してます。

こんな風に自分と違った趣味を持っている人と交流することも案外楽しいです!沢山の発見ができます!同じ趣味を持った人と交流するのももちろん楽しいですが、違う趣味を持った人とも是非関わってみてほしいなって思います。

なんか先週の記事の便乗みたいになってしまってすみません、、、。(笑)

全然まとまりのないことを書いてしまいましたが、卒論は私の趣味の一つでもある「ジャニーズ」について書いていきます。私ならではの論文にできたらいいなあと思っているので頑張ります!

おーわり!!

(1期生 もが)

【vol.5】県大あるある(えはら)

突然ですが奈良県立大学(以下「県大」)ってとても変わってる大学ですよね。

公立大学にもかかわらず知名度が低いし、校舎はボロボロだし、学生が1学年に150人しかいない。変わってるところを挙げだしたらキリがありません。

そんな変わりすぎてる県大独特の学生の友人関係に焦点を当てて、書いていきたいと思います。

県大は1学年150人と少ないこともあり、大学に行けば、誰か友達や先輩、後輩がいて楽しくアットホームな環境で過ごせます。

しかし、その反面、様々な問題もあります。

悪い噂がすぐに広まる。グループ意識が強く、グループ内でいざこざが起こる。一人でいると浮いてしまう。など中学生のような幼稚な問題が発生したりするのです。

そのような様々な問題の中で、僕が思う一番の県大生の問題は、外に対して「閉鎖的」であるということです。

大多数の県大生がグループ内または大学内で関係性が完結してしまっていて、なかなか外に出ていかない、交流を持とうとしないという現状があります。まあ原因の一つとしてコモンズのシステムもあるんですけどね。

それじゃあダメなんですよ!!

とってももったいないです!!

どんどん新しい人と絡んでいきましょう!

新しい人と関わりを持つって正直めんどくさいですよね!むっちゃわかります!

でも、新しい人と関わることによって、今まで自分が知らなかった価値観とか物事の解決の仕方とかいっぱい色んなこと吸収できると思うんです。

そういう自分の引き出しにはなかったものを新しく加えていけることって、とても大事なことで、将来もし自分が何か壁に当たった時、その引き出しから壁を乗り越えるヒントや答えを見つけられるかもしれません。

そんなんめんどいし、役に立たんかもしれへんし、ええわ!と思う人いますよね。

いやーわかります。とってもわかります。

でも、ちょこっと外に意識を向けるだけでもしてみて下さい。

いきなり他大学行って、友達作ってウェーイしろとは言いません。

県大内であんまり喋ったことない人と関わる機会がもしあったとき、中に籠るんじゃなくてちょっと話してみて下さい。思いがけない発見があるかもしれません。

なんか説教くさい内容になりましたが、これで終わります。卒論はコミュ力について書きます。頑張ります。乞うご期待。

以上!

(1期生 えはら)

【vol.4】毎日眠たい(しもふせ)

昨日テレビでショートスリーパーという人がいるという番組を観ました。

密着されていた男性の睡眠時間は、1日たったの45分。7年かけてその短眠術を習得したそうで、訓練をすれば誰でもなれるらしいです。

最近、というかもう物心ついたときから常に眠たい気がする。もうそんな勢いで毎日眠気との戦いです。私の普段の睡眠時間はだいたい5〜6時間で、割と短い方なのかもしれないです。それでも毎日全然時間が足りないし、寝ている時間って勿体無いなとも思います。寝るのは大好きなんですけどね。

ショートスリーパーになれば、自分の自由な時間がもっと増えるし、今までやりたくてもできなかったことができるかもしれない。そう思うとショートスリーパーっていいなぁと思ってしまいました。

そもそも、なんでこんなに時間が足りないんだろうと考えてみると、圧倒的にスマートフォンを使用している時間が長い!そう感じます。特に用事がなくても、ついついSNSなんかを眺めてしまいます。皆さんはどうでしょうか。

となれば、実は睡眠時間なんかよりスマホに向き合っている時間の方がよっぽど勿体無いんじゃないかと。あらゆる情報が溢れかえっていて日々受け取る情報が本当に多い。ちょっとスマホを見ていない間に通知がめっちゃ溜まっていたり、タイムラインがめっちゃ更新されていたり、皆さんもよくあることなんじゃないかなぁと思います。

そんなデジタル中心の便利な時代に、注目されつつあるアナログ的な志向。手間をかけることに価値を見出す若者たち。あらゆる情報や商品に溢れた現代の社会に生きる人々の間で広がるDIYカルチャー。卒論では、そんなことについて書こうかなぁと思っています。ですが、まだまだご紹介できるほどでもないので、それはまた後ほどということで。そろそろ本気で頑張ります。では。

(1期生 しもふせ)

【vol.3】僕の偏見(もんた)

今回のブログはあくまで僕の主観です。

そして、ファッションは流行という枠組みの中でオシャレすることっていう次元で話をします。

どういう意味ってなったら直接聞きに来てください。

ファッションは自己満足。

これを口にする奴はほぼほぼ全員嫌いです。

あとそういう奴ほぼほぼクソダサいパターン。

反吐が出ますね。

んなわけないやろと思うわけですよ。

服は自己満足で終わるわけがないんですよ。

家出て、駅行って、電車乗って、学校着きました、授業受けて、ご飯食べて、バイト行って、また家帰ります。

この間に何百人っていう他人に見られてるわけです。

これでファッションに関心あって他人の目気にしない人いたら卒論に役立つんで本当に会いたいです。

とはいえこれに対して自己満足論を語る方々の主張はきっとこうです。

気にはするけど、自分は満足してるから、褒められようが、貶されようが、どう思われようが関係ない。

ファッションっていうのは情報の蓄積の結果です。

メディアを通して芸能人が着てる服を見たり、生活してる中ですれ違う人の服を見たり、2次元だろうが3次元だろうが無意識に情報は入ってきます。

どれだけアヴァンギャルドなファッションであっても、個性的でも、ファッション観それ自体がなんらかの情報に由来しています。

似合ってるか似合ってないか、オシャレかダサいか。現代のファッションには抗えない一つの尺度があります。

服はオシャレするためのものっていう固定概念です。

これに縛られている限り、頂点はパリコレやらミラノやらモードって呼ばれるものなんですよ。

既製服はビジネスです。

売れるから売ってるんです。

流行を売ってるんです。

抗うために、自分で服を作るとかリメイクするとか思いつくと思います。

まあやり尽くされてますよそれは。

自己満足の話に戻りますが、僕自身別に自己満足すること自体を批判してるわけではなくて、なにをもって満足してるんだって思っているだけなわけです。

だからまあほぼほぼ全員っていう書き方をしたわけで、成立します。

むしろ自己満足できている方々は心の底から尊敬できます。

むかつくのは自己満足するレベルにも達してないことを自覚してないことです。

踊らされてることに気づかず踊ってるわけです。

じゃあどうしたらええんやってなるんですけど、僕は思うんです。

自己満足じゃなくて、自己表現なわけです。

世界に自分1人しかいなかったら、ファッションなんて存在しません。

自分がいて、自分以外の人間がいて、初めて成立します。

そして幸いにも現代のファッションっていうのはものすごくオープンなんです。

なに着たっていいし、枠組みの中ではどう遊んだっていいんです。

表現していこうよって思うわけですよ。

鼻高々に意味わからんクソダサい服着てオレが最強みたいな顔して歩いてるやつかっこいいっすよ。

おしまい!!

(1期生 もんた)

【vol.2】年を取ったなと感じる時(E)

最近、涙もろいです。

テレビとかで家族愛とか、挫折して這い上がったなどのエピソードで、感動してすぐ泣いてしまいます。この前も「家、ついて行ってイイですか?」という番組で、息子達が母にサプライズをして、最後に手紙が読まれるシーンでうるうるきました。

他にも、最近、イベントなどの裏方のバイトに携わる機会が多くあったのですが、大人はもちろんのことながら、自分より年下の子がイベントの指揮をとったりしているのを見て、いろんな人の力があってイベントが成り立っていることに感動して、ジーンと心にくるものがありました。

たぶんこれは、年のせいだと思います。

私が中高生の頃、ある番組のVTRで感動的なシーンが流れているときに、泣いている出演者をみて「泣くほど感動するもの?」というふうに冷めた目で見ていました。

でもこの年になると、わかる気がする。こうやって年を取って変わっていくんだなと思いました。

このブログを読んでいる人はおそらく若い方が多いからあまりそう感じないかもしれませんが(笑)、みなさんの年を取ったなと感じるときはどんなときですか?

と、ここで締めてもいいのですが、最後にちょっとだけ卒論のことを書きます。

タイトルはまだ未定ですが、ざっくりいうと「社会のポエム化とSNSの関係性」です。ストレス社会で、ポエムや優しい言葉が蔓延している日本。そんな中、最近ではSNSの登場により受け手だけでなく、送り手にもなれるようになった。SNS上では、優しい言葉だけでなく、ネガティブなポエムも多く見られ、それに共鳴する人々もいる。自ら発信する意図や、なぜネガティブ系ポエムを発信している人に惹き付けられるのか、ネガティブ系ポエムではどんな語りをしているのかなどを明らかにできればなと思っています。

最近涙もろいとか、卒論の内容的にも、病んでいるように見えますが、断じて病んいでません(笑)以上!

(1期生 E)

【vol.1】初更新~バーのすゝめ(ふなはし)

初更新!ということで緊張がパナい笑

初めまして。奈良県立大学松岡ゼミのふなはしです。これあだ名です。

1年の頃ふなっしーが好きというキャラで通してきたからこんなあだ名がつきました。

今日は私の卒論のこと書きます。

私、バーについて研究してます。

バーテンダーのいるあのバーです。

バーって何なんやろ?って疑問からこのテーマにしました。

バーとは何か、バーを通して現代社会を考えてみよっかなって思ってます。

卒論には関係ないけどバー通いして得た持論があります。

「バー通いを制する者は人付き合いをも制する」

これマジです笑

バーって色んな人がいるし喋る練習にうってつけやと思います。特に大人と話す力がつくと思います。あと度胸もつく。最初はどうしても「敷居が高そう…」ってイメージが先行して行きづらいと思うけど(私もそうでした)行ってるうちに慣れてきてバーテンダーさんやお客さんと普通にお喋りできるくらいになれます。バーで聞く会話って面白いよ!

大学生でバー通いしてる人ってそうそういないと思うし。実際、バーテンダーさんやお客さんにも珍しがられてます。

みんなも是非行ってみてね!!

ただし、夜道と終電逃さないように気をつけて…

お酒飲めなくてもノンアルコールカクテルやソフトドリンクも出してくれるからご安心を。

かくいう私も研究のために本気で行かなきゃな~いつまでも遊びに行く感覚じゃアカンよな~

ただの宣伝みたいになっちゃった笑

ではこの辺で~

ふなはしでした(゚∀゚)

(1期生 ふなはし)