【vol.71】これから研究に挑む皆さんへ(がえ)

こんにちは。
奈良県立大学 地域創造学部
都市文化コモンズ所属4年の
がえです。

卒業論文を書き終え、
無事卒業判定をいただきましたっ!
わーいわーい嬉しいなっ

今回は卒論後記として今の私が思っていることを綴っていきたいと思います。

ただ、先生からは後輩がゼミを決めるときにこのブログ読んでるみたいだから、しっかりブログ書いてねと言われているので読み手を意識して書きます。がんばります。

やはり、皆さんが知りたいのは
松岡ゼミとはどんなゼミなのか!?
ゼミ生はどんな論文を書いたのか!?
そのゼミに所属した後はどんな進路を進んだのか!?
というところではないでしょうか。
(わたしもゼミを決めるときこのブログ読みました。でもなんかなんとなく、その当時の記事だと面白そうだけど何をするんか、とかあんましわからやんなぁ〜と思っていました。)

ではまず、松岡ゼミはどんなゼミか。
一つの単語で表すと
「自由」だと思います。

どのように、というところを説明していくと、
ゼミのテーマも、ゼミの成果物も、ゼミの取り組みも、ゼミの頻度も、時間も、何もかも、自由です。ほとんどがゼミ生の判断で決まっています。(なので、先生からのこーしろーあーしろーというのがある方がやりやすいなぁって人には難しい環境かもしれません。)

私にはこの形態のゼミは合っていました。自身が物理的にいろんな場所で活動をしていたので柔軟に対応できましたし、なにより自分たちにとって身近なことやモノをテーマに扱うことができたのが良かったと思っています。

また先生はとても優しい、というか優しすぎるというか、先生感のない、近所の物知りのお兄さん(言い過ぎかもしれません)という感じです。なのでゼミ中も堅苦しくなる感じはほとんどなく、修羅場もなく、程よい距離感で話ができます。先生が旅行に行ったらお土産も買ってきてくれます。(あと奥さんのことがとても好きな方です。)

なのでゼミも和やかに進みますし、ゆるっとふわっと自分たちのペースで進められるので張り詰めた空気とか緊張感が苦手なわたしにはすごく良い環境でした。

ゼミ生の論文のテーマについてはブログ内のキーワードにもあるように多種多様です。今になって思うと4期生が扱っていたテーマもばらっばらだったなとおもいます。

みんながテーマに行き着くまですごく時間がかかりました。(一番時間がかかったのは私です。)なぜこんなに時間かかったのかなーーっと考えたとき、頭に浮かんだのはゼミの一番最初の課題です。

上野千鶴子さんの「情報生産者になる」という新書を全員で読むことになります。
(自由っていいながら課題はあるんだ、、、となりますね、すみません。)
この本を要約すると自身の経験や考えから生み出される情報こそが発信する意義があるものだ、というものです。
松岡ゼミはこの考え方が土台となってゼミの活動が進められます。
つまり、自分たちの身の回りの違和感や疑問を研究テーマとし、それぞれの経験や知識や体験をベースに研究を進めていくのです。
(ゼミが自由であるのも、これに基づいているのかなとおもいます。)

経験や知識と簡単に言いますが、私たちを取り巻く環境はたくさんの情報が毎日のように与えられ、自身の興味を超えたものが街中にたくさん溢れています。
私自身たくさんのものに興味を示すタイプであったため、一つのテーマに絞り込むのがとても難しかったです。
もし今、興味のあるテーマは?と聞かれれば、今日は3.13ですが、少し前まで多くのメディアで取り扱われていた東日本大震災から10年について調べたい、というだろうし、1年前に聞かれれば就職活動について調べたいと言っていたと思います。

テーマが決まらずにいるとなかなか動き出せずモチベーションも下がってしまい、ゼミの活動が億劫になる時期もありました。
ですが松岡ゼミで良かったと思うのは、自身のテーマを自身で決めることができること、自身の身の回りの疑問を取り上げることができたことです。自分の興味のあることだからこそ真剣に取り組むことができ、研究を始めるにあたっても予備知識が多くついた状態で始めることができたのがとても良かったです。本来研究はこうあるべきなのかもしれませんが、私自身、小さい頃から疑問を抱えていたコミュニティを取り上げることができたのがとても良かったです。

また奈県はご存知の通り少人数のゼミ活動が基本だからこそ全員がお互いの研究を理解した上で発表をしたり、意見したりできます。みんなの真剣に研究している姿を見てわたしも力を貰いました。

私が最終的に絞ったテーマは大学生協というコミュニティについて、というものです。4年間大学生協の協同組合活動に携わったことと理想の地域コミュニティを考えていた私にとっては最善のテーマを決めることができたと思っています。

テーマが決まってから提出までおよそ6ヶ月あまりだったので正直時間は足りませんでしたが、最終発表の際に先生からお聞きしたことがとても印象的でした。

1期生の私もよく知っている先輩がおっしゃったことで、卒論のテーマを卒業しても考え続けるのが大事だと仰ったらしいです。

時間が足りずに書き上げた論文ではありましたが、私はこれを聞いて、確かに自分自身の身の回りの疑問はいつまでも考え続けていいんだ!と気づくことができました。

つまり何が言いたいかというと、卒業論文がゴールなのではなく、卒業しても考えられるようなテーマを取り扱うことができるのがこのゼミの特徴であるということです。

最後に進路について。ゼミ生のみんながどこに進むかは正直あまり知りません笑
卒業後、私はコミュニティプランナーという職につきます。

本当は2020年7月の時点で内定をいただいていたのはハード面(図面を書いて建物を建築する仕事でした、)のまちづくりの仕事でしたが卒論を書きながら、やはり自分はコミュニティに携わった仕事がしたい!と考え、卒業論文を執筆しながら就職活動を再開しました。

今思えば無茶なことをやったなと思いますが、人生のことを思うと間違っていなかったと感じます。

4年間学んだコミュニティを仕事にし、社会に生かし、自身の理想の街やコミュニティを形成していきたいと思っています。

不安はもちろんありますが、これまでの経験を活かせる職場で、卒論では書ききれなかった、調査できなかったいろんなことを体験し自分なりの研究の答えを導き出せればと思っています。

最終的になんかごちゃっといっぱい書きましたがゼミのこと、テーマについて、進路について書けたかなと思います。

もっと話が聞きたいなーっという皆さんはぜひ連絡ください。おしゃべりなのでなんでもお伝えしますよ!(インスタのアカウントです…@kanagae_817)(ゼミブログで自分の連絡先載せるのじわりますね)

最後にゼミのみんな、松岡先生、2年間とてもテキトーな私に付きあってくれてありがとうございました!
またどこかで会いましょ〜!!!!!

最後まで読んでいただきありがとうございます。ゆびはーとです。

(4期生 がえ)

【vol.70】卒論を書いてみて(上野友唯)

このゼミで卒論を書いてみて、今思うことを書いてみようと思います。

私は卒論のテーマを4回生になって変更しました。テーマは「自己肯定感を求める社会ー「自分探し」の時代から「自己肯定」の時代へ」です。3回生からテーマを決めている人が多い中、私は3回生のときに決めたテーマでは行き詰まってしまいました。

このゼミでは自分でテーマを設定して卒論を書くことができます。なので、当事者意識を持ってテーマと向き合うことができます。そのため、テーマが人によって全然違います。自由に設定できることで、新しい発見や共通する部分を感じることができるところがおもしろかったです。

ですが、私は自由に設定できるからこそ、テーマ設定に時間がかかりました。

「何をテーマにすれば当事者意識を持てるのか」や「自分が向き合いたいと思えるテーマは何か」ということがわからず、全くスムーズに進めることができませんでした。自分の発表の時には、考えがまとまらず、伝わりにくい発表になってしまったこともありました。

そんな私でしたが、同じゼミの人が理解しようとしてくれたり、先生に補助してもらいながらなんとか進めることがでしました。

もちろん自分の頭で考えて進めていくことは大切だと思います。しかし、悩んでしまうことがあると思います。そんなときに自分の言葉で話して頭の中を整理したり、助けてもらったりすることができるゼミです。

「卒論だから」という考えから固まってしまうのではなく、自身の素朴な疑問に向き合うことが考えを進める方法だと思います。そして、悩んだときには助けてもらいながら、進めていくしかないと思います。私自身の経験から、後輩たちには自由なテーマ設定ができることがデメリットにならないように、凝り固まらずに柔軟に考えながら研究を進めていってほしいなと思います。

(4期生 上野友唯)

【vol.69】非営利団体を卒論にして私が得たこと(田中麻衣花)

私は、「非営利団体はなぜ日本で社会的地位が低いのか――社会構造・若者・現場の視点から」という題で卒業論文を書きました。日本における非営利団体(NGO・NPO)は、良い活動を行なっているにも関わらず、社会的な地位が低いのではないかという視点が出発点で、ではどのようにすれば社会的な地位が向上するのかを考える、という内容です。

私が、非営利団体に関心をもったのは、大学3回生の4月から8月の間に、NGOピースボートで地球一周の船旅を経験したことから始まります。ピースボートは、国際平和や国際協力を目的とした国際NGO団体で、地球を旅しながら、また約100日間の船内生活の間に、地球をキャンパスにして世界を学ぶという活動を行っています。

私はそのピースボートに乗船中、(どのタイミングで、誰からとかは全く忘れてしまった…)「日本の非営利団体は世界と比べて社会的地位が低い」と聞きました。私も、ピースボートに限らず、非営利団体は、社会や世界をより良くしようと活動しているにも関わらず、いまいち活動や存在感は薄いなあと感じるようになりました。そこで、なぜ日本の非営利団体は他国と比較して社会的地位が低いのだろうか? 本当に海外では社会的地位が高いのか? どんな社会の仕組みの違いで非営利団体の社会的地位の違いが生まれるのだろうか?と疑問に思い、このテーマで卒業論文を書くことにしました。

元々、高校生の頃に、社会学に関心を持ち、奈良県立大学を志望し、社会学の松岡先生のゼミを志望したので、非営利団体を社会学的視点から考察することを楽しみながら文献調査をしていました。(ただ、先生のおすすめして下さった文献は、私の読解力が低かったため、当初は「は?え?」と思う内容で、かなり戸惑っていたことを今思い出しました。難しかった。)

私は、若者の関心や見る方向が、今後の社会の未来ではないかと考えています。なので、そこから、若者への関心をもち、若者の社会的関心の低さが非営利団体の関心の低さに繋がるのではないだろうか? なぜ若者は社会へ関心を持てないのか? 非営利団体の活動に参加するのにも関心がないのか?と、広がっていきました。

今回用いた大学生へのアンケート調査や文献調査は、「卒論だから」という範疇以外に、自分の知識として大変興味深いものとなりました。自分も含まれる「若者」という概念を客観的に考察するのって、すごくへ〜〜〜!ってなりますし、確かにあるなぁ〜と思うことが多かったです。

最後に、では現場で働く非営利団体の職員の方々はどう思われているのか、インタビュー調査を行いました。ここが結構大変でした〜〜!今思うと。

まず、どんな団体がいいかすごくインターネットで検索をかけるんです。その後に、HPを確認して、どんな活動内容かきちんと把握する。そしてコンタクトを取るためにメールを送る。ここまでで結構大変でした。私は。でも本当に大変なのはここからなんですよね。全っっっっ然メールが返ってこない。びっくりしました。断るならそのメールを返して欲しかったです。涙。

ですが、ご縁があって、私の卒論に関心をもってくださり、ご親切に、計4団体8人の方々がインタビューに応じてくださいました。本当にありがとうございました。皆さん本当に親切に、分かりやすく丁寧にお答えくださり、私の卒論もより良いものとなりましたし、私個人としても貴重な経験となりました。

もし今後卒論を書かれるなら、せっかくなのでインタビュー調査はしてみた方がいいと思います。インタビューに応じてくださった方ほぼ全員に、「ただ本を読むだけでなく、色んな人の話を聞きにくのはいいことだね」と仰っていただきました。私も、卒論がなければ、インタビュー調査をすることはないし、こうやって現場の方々から詳しくお話しを聞くこともないので、すごく良い経験になったなと思っています。(大人の方への丁寧なメールのやりとりなども勉強になりました。)

このように、社会学的(社会の構造)に、若者の視点、現場で働く職員さんの視点の3つから、私の卒業論文は完成しました。

卒論執筆を通して私が得たことは、なんでもない、ふとした疑問は、考察し探求すると、どんどん深掘りすることができるということです。私が抱いたこの疑問も、なぜかずっと頭に残っていて、最初はなんでやろな〜くらいのふんわりしたものでした。しかし、卒業論文にすることができるくらい、学問というのは深く、広いものなんだなと、私は感じました。

今回は、「1つの物事に関してじっくり深く考える」ことでしたが、逆に、「幅広い概念や物事をたくさん知りたい」という風にも思いました。ひとつひとつの知識は浅くても、色んな物事を体系的に学びたいなと思います。卒論を書き上げた後に社会人としてできることはこれだなと思っています。

松岡先生から「社会学こそ、これから社会人になって一番活きる学問だ」と学びました。長い学生の期間がもう終わってしまいますが、この大学で、このゼミで、この卒論で学んだことを忘れず、この先も学び続けていこうと思います。

(4期生 田中麻衣花)

【vol.68】好きなものを批判的に見る(ゆき)

私は「コンテンツツーリズムの批判的検討ー持続可能なロケツーリズムとは」というタイトルで卒論を書きました。コンテンツツーリズムを批判的に検討して、そこから望ましいコンテンツツーリズムのあり方を自分なりに見出す、という研究です。

コンテンツツーリズム、聞きなれた言葉にするとロケ地巡りですが、私はもともと好きなアイドルの映像作品や雑誌のロケ地巡りをすることが好きで、コンテンツツーリズムに興味を持っていました。なぜ、好きなことを批判的に研究することに至ったかというと、初めは、コンテンツツーリズム研究は地域振興に有効であるというような研究ばかりがなされていることから、逆にマイナスの面を探ることがオリジナリティーになる、というような簡単な動機からでした。しかし、好きなものをあえて批判的に研究してみることで、今まで見えていなかった、あるいは見ようとしてこなかった特徴に気づけたり、より一層の魅力を見つけることができるということを、研究していくうちに実感しました。好きなことに否定的な考察を付加していくのはしんどいこともありましたが、プラスの面もマイナスの面もどちらも知ることで、より理解を深めていくことができました。

自分の卒論の取り組みの中で、振り返ってみてよかったなと思えることが、3つあります。

まず1つ目は、2回生の時から同じようなテーマで研究してきたことです。正直私は、様々な事に対して好奇心旺盛なタイプでもなければ、ちょっとでも興味があるものなら探求してみよう!と思うタイプでもないです。狭い範囲で自分が心から関心を持てるものだけがとことん好き!というタイプなので、2回生の頃から研究テーマは大きくは変わらず、ずっと同じテーマで研究しました。色々なことに関心があって、様々なテーマに取り組んでいる人を見ると、自分にはできないことなので素直に羨ましいと思います。しかし、ひとつのことに時間をかけて深めるというやり方も私には合っていて、好きだからこそ続けられたのかなと感じました。

次に2つ目は、インタビュー調査を経験できたことです。インタビュー調査では、今まで話す機会がなかったような立場の人々とコミュニケーションをとることができます。大学生になるまでは、なかなか関わりのない人と話す機会がなく、インタビュー調査などはやったことがありませんでした。だからこそ難しいし、上手くいかないこともあるけれど、初めて会う人の意見を聞き出したり、議論したりするおもしろさを卒論の研究を通して経験できたことがよかったと思います。

3つ目は、フィールドワークをしたことです。よこしまな考えではありますが、私は映画『世界の中心で、愛を叫ぶ』(セカチュー)のロケ地である香川県に現地調査で行った時、ちょっぴり旅行気分でした(笑)もちろん、しっかり現地調査とインタビュー調査を行いましたが、単純に、研究テーマがロケ地じゃなかったら、「セカチューロケ地」を対象にしていなかったら、行く機会がなかったであろう場所に行けたということが魅力的だな、と感じました。実際に『世界の中心で、愛を叫ぶ』の映画を見た直後に調査に行ったので、もともとロケ地巡りが好きな私としては、純粋に、「あ!ここあのシーンの場所だ!」と楽しんだ部分もありました。こんな風に楽しみながら、もしかしたら人生で訪れることはなかったかもしれない土地に、研究が目的で行けるのは、大学生のうちしかないと思うので、経験できてよかったと思います。

今はご時世的にストレートに勧められないことが残念ですが、フィールドワークがもっと自由にできるようになったら、ぜひ行ったことのない地域に行ってみてほしいな、と思います。

とにかく今は、卒論提出と卒論発表を終えて一安心という気持ちしかないですが、自分自身で調査研究して、論文を書き上げた、といういい経験ができたので、今後またいつか自分の卒論を振り返って何かの励みになる時が来るといいな!と思います。

(4期生 ゆき)

【vol.67】ジャニオタと卒論(りょな)

松岡ゼミ4期生のりょなです。

卒論書き終えました。松岡先生から最終オッケーが出た瞬間、部屋でひとりガッツポーズしました。

突然ですが、ジャニオタ用語的なものの中に「担タレ」という言葉があります。「担当はタレントに似る」の略で、オタクは自分が応援してるタレントに似てくる、という意味です。

わたしの「担当」であるNEWSの加藤シゲアキさんは、ジャニーズのアイドルでありながら作家としても活躍しています。先日、著書「オルタネート」が第164回直木三十五賞、2021年本屋大賞、第42回吉川英治文学新人賞、第8回高校生直木賞の候補に選ばれました。すごい。

で、わたし卒論書き終えて、やっぱ文章書くの苦手やわって思ったんですよね。全然担タレじゃないやんって、ちょっとがっかりしました。そもそも自担との共通点、大阪出身、7月生まれ、黒髪、ぐらいしかないけど。

まあそんなことはどうでもよくて。

卒論は、「リキッドなジャニーズアイドルと参加者化するファンが築く双方向的な関係ーNEWSを事例に」というテーマで書きました。

書いてる途中、いろいろありました。やっとまとまってきたかなっていう時に、NEWSが4人から3人になりました。

最後の最後まで4人のNEWSを願ってたから、当時はメンタルボロボロで、卒論書く気になれるはずもなく、まじでどーしよーーーと思ったのですが。

NEWSがいたから大丈夫でした。(エモい空気)

何度形が変わっても、いろいろあった歴史全部抱えて「NEWS」として生きてくれるNEWSが好きなんだなと思い知りました。

そんなこんなで卒論、がんばりました。「卒業論文」としてのクオリティはかなり低いんやろうけど、自分が納得できるものをつくれたので大満足。思い残すことはないです。

この2年間わたしから散々NEWSの話聞かされた松岡先生とゼミの同期たち、それからこのブログを読んでくれた人が、テレビとかでNEWS見かけたときに「お、頑張ってんな」ってちょっと気にかけてくれたら嬉しいなと思います。

おわり。

(4期生 りょな)

【vol.66】「卒論」を終えて(れみみん)

こんにちは。松岡ゼミ4期生の高寄玲未(れみみん)です♪ 今回は、先日無事提出を終えた「卒論」について書いていきたいと思います。

私は「大人っぽいとは何か」をテーマに研究をし、最終的に、「現代日本における「大人っぽい」とは何かー未成熟肯定社会における曖昧な大人イメージ」というタイトルで卒論を書きました。都市文化コモンズに入った2回生の始め頃に、自身が実年齢よりも幼く見られることから、ふと「大人っぽい」について調べたら面白いんじゃないかなと思いました。そのもっと前から、この言葉には関心があり、時々意味について考えたりもしていました。それから3年間少しずつ調べを進めてきました。振り返れば「大人っぽい」との付き合いは長かったなと思います。(これからもずっと考えていると思います。)これがテーマを決めた1番はじめのきっかけです。

次に論文のポイントを。ポイントは、「大人っぽい」を3つの方法を使って考察した点だと思います。「大人っぽい」という1単語に対して複数の方法で調べたことで、結論の説得力は増したんじゃないかなと感じています。雑誌分析・歌詞分析・アンケート調査の3つを行ったのですが、特にアンケート調査が興味深かったです。回答には学生さんたちの考えがそのまま表れていて、「大人っぽい」について知れる面白さはもちろんですが、「同年代の子たちってこういう考えなんやなあ」ということも知れて目を通すのがとても楽しかったです。中には「大人っぽい」といえば「いぶし銀」というなかなかに渋い回答も(笑)

大学に入って、座学や暗記だけが勉強ではないことを学びました。高校生の頃にも「今の勉強だけが勉強じゃない」ことは頭ではわかっていましたが、あまりピンと来ていませんでした。大学生になり、ある意味漠然とした内容の授業だったり、明確に点数化できない課題に取り組むうちに「自分で考えること」の大切さであったり、「考え方そのものが学びになること」に気づきました。その集大成として取り組んだ卒論は、自身が掲げたテーマに長期間向き合わないといけなかったため、初めは戸惑いがありました。終えた今でも、テーマに対して出した答えが正しかったのかはわかりません。ですが、だからこそ考え続けられるのかなと思います。なので、社会人になってからも「大人っぽい」という言葉と向き合っていきたいと思います。

最後に、このテーマで卒論が書けて良かったなと思います♪

(4期生 高寄玲未)

【vol.51】20歳で世界一周の船旅に出た話(田中麻衣花)

高校生の頃から「世界一周の船旅をする」ことが私の夢でした

私は、昨年2019年4月から8月までの約100日間かけて、世界一周の船旅に乗船しました。お店や居酒屋さんのトイレにポスターがよく貼ってある、地球一周の船旅ピースボートです。

きっかけは、私が高校2年生の頃、現代社会の先生が学生の時ピースボートに乗船したという話を聞いたことです。高校生の私は特に旅行や海外に関心があったわけではありませんでしたが、その先生の話を聞いて私は「こんなかっこいい大人になりたい」と思いました。自分のやってきたこと、経験してきたことを、自信を持って人に話す姿がすごくかっこよく見えたからです。その時から、「大学生になったらピースボートに乗る」という夢ができました。

それから4年後、大学3回生の春というタイミングで、ゼミの先生である松岡先生にも許可をいただき、晴れてピースボートに乗船するという夢を叶えることができました。

ピースボートで世界を見て感じたこと

ピースボートは毎回約1000名の乗客を乗せ、年3回世界一周クルーズを行っています。37年間休まずに船を出し続けていますが、同じ航路を通ったことは一度もなく、毎回違う国や地域を訪れます。

私が乗船したクルーズは5大陸を巡るもので、全19か国21寄港地を訪れました(寄港地とはその名の通り、寄る港の地という意味です)。

訪れた寄港地は本当にどこも魅力的で、一生にこんな経験をすることはもうないだろうなと思うことばかりでした。
特に思い出に残っている国を紹介したいと思います。

やはりエジプトです。間違いなく1番でした。
今まで写真やテレビでしか見たことないピラミッドを実際に自分の目で見ることができてすごくすごく感動しました。ピラミッドの階段状になっているところをどんどん登ることができて、写真を撮ろうと思い登っていたら、警備員に「降りろ!」と大きな声で怒られたことも今では良い思い出です。登らないようにして下さいね。

次に印象的だったのは、チリのイースター島です。
理由はピラミッドと同じになってしまいますが、小学生の時に教科書でモアイ像の作り方とその謎について読んでいたので、実際に自分の足で訪れることができてすごく嬉しかったです。余談ですが、イースター島には大きな船で上陸できないので、10人くらいの小型船に乗り換えるのですが、波が荒いと水しぶきでびっしゃびしゃになります。私はその水しぶきのせいでイースター島から帰ったその日に38度の熱でめちゃくちゃを風邪引きました。これも今では良い思い出です。

それ以外にもたくさんの寄港地を訪れましたが、いくつかツアーを取りました。
ピースボートで企画されるツアーではSDGs(持続可能な開発目標)に基づいたものがあります。そのツアーは国際平和・国際交流を目的としたNGOピースボートならではであり、ピースボートでしかできない経験だったと思います。

この写真はタヒチでのツアーの写真です。
タヒチでは、タヒチのNGOヒティタウ を訪問し、タヒチの伝統的農業を体験するというツアーです。タヒチは、正式名称を「フランス領ポリネシア」といい、現在でもフランス領の一部という扱いになっています。タヒチでは、1996年までフランスによる核実験が200回も行われていました。しかし、フランスはタヒチの人々に核についての情報を公にしていません。また、放射線による土壌汚染が原因で輸出国から輸入国となり、タヒチの経済はフランスに大きく依存するようになりました。NGOヒティタウ は、フランスがポリネシア地域を政治的・経済的にコントロールしている中、フランス政府からの援助に頼らず、地元の経済を発展させることを目的としています。

このツアーを通して、フランスといった大国が、ポリネシア地域を自国の領土としていること、その地域で核実験を行い、情報を公にしていないこと、それによってポリネシア地域の人々の心や経済がフランスに依存してしまうことを知りました。タヒチだけでなく、このような状況にある国は他にもあることを知り、自分には何ができるのか、日本という大国に住む者として、日本も同じようなことをしていないか、同じことをしないためには…と考えました。

日本にいるだけでは、きっと知ることも考えることもなかったなと思っています。多くの国や地域を、自分の足で歩き、自分の目で見るということが、全て経験といった財産へと変わり、私の自信に大きく繋がりました。また、様々な土地を自分の身で感じることで、ダイレクトに文化や価値観に触れることができました。百聞は一見にしかずとはこのことだと感じました。そして、もっともっと多くの国を自分の足で行って自分の目で見てみたいと思うようになりました。

船内生活が私を成長させてくれた

実は、一つの寄港地に1日ほどしか滞在しないのでほとんどが船内生活です。船内生活は非常に自由で、どう過ごすかは自分次第です。

私は、この船内生活が自身を成長させてくれる大きなきっかけになったと感じています。
特に、3点私の中で印象的だった出来事があります。

W F P(国際連合世界食糧計画)元アジア地域局長 忍足謙朗さん、ドキュメンタリー映画監督 森達也さん、N P Oコミュニティ・オーガナイジング・ジャパン代表理事 鎌田華乃子さん、世界的ジャグリングパフォーマーであり在日朝鮮人であるちゃんへん.さん、一般社団法人Get in touch理事長 東ちづるさんの講義が私の中で非常に印象的でした。

1つは船内での水先案内人の講座です。
ピースボートは、上記にあるように、国際平和・国際交流を目的としたNGOであるので、平和や社会についての著名人や専門家を船内に招き、毎日様々な講座を行っています。その内容は、非常に説得力があり、世界に、また社会に生きる一人の人間として知らなければならないと感じることばかりで、非常に充実した時間でした。お話を聞きながら、怒りに震えたり、悲しくて涙が出たり、心から感動したり、本当に心が動く時間でした。世界や社会の見方が多面的になっただけではなく、知識の幅が広がり、知識が0から1になったなと強く感じています。

実際に、ピースボートの船旅下船後も、関心のある事柄に自分で勉強をしています。乗船時でのきっかけが、下船後にどんどん繋がっていくのだなと思っています。私はそれをピースボートにしかできない啓発活動で、また、ピースボートの本質なのではないかと感じました。

森達也さんとの写真

2つ目は、船内の企画作りにたくさん参加したことです。船内では大きなイベントが20ほどあります。洋上運動会、夏祭り、結婚式、ダンスフェスなどです。そのようなイベントを、ピースボートスタッフと多くの乗船者が一緒に作っていきます。

私はその企画実行委員として、多くのイベント作りに参加しました。企画実行委員となることで私が学んだことは、組織の中で自分がどういう風に行動するべきなのかということです。実行委員では、リーダーや、組織の末端の役割も経験しました。リーダーとして自分はどう行動すればチームは上手く機能するのか、逆にリーダーから遠い役割の際は、どう行動すればリーダーは動きやすいのかを学びました。

もちろん、全て上手くいったわけではなく、失敗したなと思うこともありました。失敗から得たことも、すごくできる人から学んだり、逆に反面教師として得たこともありました。学生の間では様々な立場で1つのチームに所属することはないかと思います。社会人になった際に、きっとすごく重要なことを学んだのではないかと思っています。

夏祭り実行委員のみんなとの写真

最後は、多くの人との出会いです。船内では約1000人と100日間を共に過ごします。ピースボートでは、本当に様々な人がいます。年齢・性別・国籍・職業も本当に様々な人がたくさんいました。私は、ピースボートのフラットに誰にでも話しかけられる環境がすごく魅力的だと思っています。たくさんの人と出会って、関わって、相手の話を聞いたり、自分の話をしたり、すごく有意義な時間でした。

悩みや相談事があればずっと話を聞いてくれたり、夜中の3時まで自分たちの夢を語りあったり、しょーもないことでずっと笑っていたり、本当に素敵な時間でした。本当に出会えてよかったなと思える人との出会いは、私の中で最も大きな財産だと思います。多くの人との出会いは、多くの価値観に触れることでした。この人のこういうところがすごく素敵だな、私も見習わなきゃな、と人間的に成長できる場でもありました。

ピースボートで仲良くなった友達のお誕生日をみんなでお祝いした時の写真

ピースボートで得たものとは

長々と100日間に感じたことを書いてきましたが、私にとってこの世界一周の船旅は、間違いなく人生のターニングポイントとなりました。この先、どのような職業に就こうか、どんな大人になろうか、どういう風に生きていきたいかを考えるきっかけになったし、道筋にもなりました。

現在、私は、良いご縁があり、また別の形でピースボートに関わっています。そこでも素敵な出会いや、貴重な経験、学んでいることがたくさんあります。私の人生の中で、ピースボートがなくてはならない存在になりました。高校生の頃、ピースボートで世界一周をすると決めたことは、間違っていなかったと心から思っています。

ピースボートでの世界一周は、知識や人間性の視野と幅を広げ、人として成長できる経験でした。この経験をこれからも忘れずに、たくさんのことをもっと意欲的に学び、多くのことを経験し、成長していこうと思います。

(4期生 田中麻衣花)

【vol.50】家族は仲良くある必要があるのか?(がえ)

家族は仲の良いもの、と、皆さん、思っているんじゃないでしょうか。
または家族の理想として、仲が良いべきである、というのが当たり前だと考える人が多いのではないでしょうか。

でも実は、これって、近代になってから考えられるようになったようです。というのも、産業化、都市化の影響で公共領域と家内領域の分離が大きくなり、性別分業や社交の衰退、プライバシーという考え方の浸透により、家族は1つのまとまりであり、団欒の保たれる関係であるというイメージが定着するようになったのです。

つまり、家族とは情緒的な関係として捉えられているわけですが、そのイメージによって新たな社会問題が今、起こっています。

わかりやすい事例だと、家庭内での暴力です。それまでは男尊女卑の考え方が一般的な考え方でしたから、父親が母親に手をあげても、または子どもに手をあげても、それは当たり前だったのです。しかし、近代家族における一家団欒、愛情の繋がりというイメージによって、夫が妻に手をあげることはDVだとされたり、子どもへのしつけが家庭内暴力だと言われたり。

本当に家族のつながりは、そのようなイメージだけで捉えられても良いのでしょうか?

私が考える家族のつながりは、 法や戸籍によって規定される外的要因と、愛や情によって規定される内的要因の2つに分かれるのではないかと思います。

そして、外的な要因で考えると、どれだけ仲が悪くても、法や戸籍で家族であると証明されれば、それは家族と言えます。でも逆に言えば、どれだけ仲が良くて、家族のように接していても、法に反していたり、戸籍が違えば家族ではありません。緊急時に一番に呼ばれるのは、今の法律でいけば法で決められている家族です。

昨今、LGBTQ+の考え方が広まり、パートナーシップ制度の導入や同性婚の可能性が多く取り上げられますが、もしもこれを機に法的な家族の制度をもっと変えましょう!ということになれば、内的な要因のみでつながりをもつ家族もたくさん増えるでしょう。ですが、そのかわり本当の父親、母親、妻、旦那ではない人とも家族だと言えるようになったとき、また新たな問題が噴出してきそうです。

私がこの家族の問題を考えているとき、ふと気付いたのは、人間関係にイメージを付けたりするのってナンセンスなのでは?ということです。

家族は、カップルは、友達は、部活の仲間は、上司と部下は、先生と生徒は…などなど、いろんな人間同士の関係性にイメージを付けるのは、この多様性を尊重する現代にはそぐわないように感じます。

『おげんさんといっしょ』(NHK)という番組を皆さんは知っていますか?

とある家族の設定で進んでいく番組なんですが、出演しているのが、
お母さんの格好をした、星野源。
お父さんの格好している、高畑充希。
女子高生の格好をしている、藤井隆。
男子学生の格好をしている、細野晴臣。
出演者たちはコスプレをしているのではなく、 それぞれ家族の中の役割を全うしているんです。

この番組をみて、いつか、
こころは男だけど格好は女のお母さん。
こころは女だけど格好が男のお父さん。
性別はどちらでもないけれど、年も関係なく娘のように可愛がられてる人、とか。
そんな家族が出てくるかもしれないなぁと思いました。

結局、なにが言いたかったの? なんで『おげんさんといっしょ』にねずみ役の宮野真守は紹介されなかったの? と思ってる人がいるかもしれませんが、まとめると、多様性が叫ばれる時代に、 戸籍や法、性別、愛の大きさ、年齢などに関係なく、ヒト対ヒトで、自分たちの想いや解釈で、人と人は自由につながるべきではないでしょうか。そして、それを尊重できる社会になるべきだと思います。

皆さんは、どんな家族を作りたいですか?

(4期生 がえ)

【vol.49】就活を目の前にして考える仕事観(うえの)

ゼミで読んだ文献『いろいろあるコミュニケーションの社会学』(2018年、北樹出版)の第13章「「好き」を仕事にする」では、好きなことを仕事にした時に直面するかもしれない問題があげられていました。著者の妹尾麻美は、好きなことを仕事にしたからといって、楽しみながら長く続けることができるとは限らないと述べていました。

たしかに、好きなことを仕事にすることはリスクを伴います。では、実際に私たちはどんな仕事を選べばいいのでしょうか。私たちは「自分に合った仕事ができるといいな」と漠然と考えながら、具体的には「休みが欲しい」「人間関係が円滑な環境の職場がいい」という話になりました。

3回生になった私たちには、社会に出て最初に就く仕事を選ぶ「就活」が現実味を帯びてきています。それは、大学生という社会に出るための準備期間に経験するアルバイトとは別のものだと感じている人は多いのではないでしょうか。私は「就活」と聞いたとき、まず「大変そう」と想像しました。就活では、社会に出て初めてする仕事を選ぶために、3回生の冬から大学生としての研究を差し置いて仕事について考えます。学生の本業は勉強であり、研究することではないのか、と感じる場面があります。しかし、実際には大半の学生が多くの時間を使い、不安を抱きながら就活をしています。会社の現実は入ってみなければわからないことも多いと知りながら。

学生が就活をこのように重くとらえる背景には、仕事を「すぐに変えてはいけないもの・変えられないもの」と認識していることがあると思います。仕事を変える転職だけでなく、離婚を「失敗」というイメージと結びつける考え方も依然として根強いです。このような凝り固まった考え方が、人々を生きづらくさせていると言えるでしょう。その時々の自分がやりたいこと、そして、やっていて楽しいことができる社会になれば、多くの人々がもっと気楽にさまざまな選択ができるようになるのではないでしょうか。

(4期生 うえの)

【vol.48】周りにいますか?“草食系男子”(ゆき)

こんにちは。松岡ゼミ4期生、今回がブログデビューのゆきです。

突然ですが、草食系男子ってどんなイメージですか?「恋愛に対して奥手」というような印象を皆さんも持っていると思います。

現代の恋愛は、どちらかが別れたいと感じると簡単にその恋人関係が終わってしまうという不安定な関係になっていて、そうならないために「やさしさ」や「一緒にいる安心感」などの確実性を相手に求めるようになっています。お見合い結婚が主流だった時代が終わり、自由な恋愛ができるようになった少し上の世代から見ると、現代の恋愛はこのような確実さが求められ、情熱的ではないように見えたことで「草食系男子」という言葉が生まれたようです(『いろいろあるコミュニケーションの社会学』、2018、北樹出版)。

現代の恋愛は、昔ほど結婚とは結びつかないという話から、ゼミでは結婚の話題になりました。私たちのゼミ内では意外にも、「結婚しなくてもいい(したくない)」という意見がわりと多く出ました。”意外”というのも、私は、「めちゃめちゃ結婚したい」と思っていたからです(笑)

「結婚しなくていい」という意見の中には、具体的には「恋愛感情だけで結婚するのにはリスクがある」という意見や、「自分のための時間が取れなくなるのはイヤ」、「「○○らしさ」を強制しない時代になっているのに、結局恋愛には「女らしさ」「男らしさ」が付きまとうことに違和感がある」というような意見がありました。「結婚する人とはいつまでもお互い大好き同士だし、自分の大好きな人だから、その人のためなら自分を犠牲にしても何でもしてあげられるし、結婚するのって幸せ!」と考えていた私は、ちょっと夢見すぎなのかな?と刺激を受けたし、みんなの恋愛観を知ることができておもしろかったです。もちろん私が思い描くイメージに当てはまる夫婦もまだまだたくさんいると思います(素敵です)。

草食系男子が増えていると言われていますが、「ちょっとダメな男」を好きになっちゃう女子もいれば、「やっぱ恋愛は男からきて!」という女子もいます。色々な人の恋愛観を知ってみるのもおもしろいのではないでしょうか。

(4期生 ゆき)

【vol.47】生きてるだけでファンサ(りょな)

こんにちは。はじめまして。 松岡ゼミ4期生のりょなです。

突然ですが、わたしは日本のアイドル、特にジャニーズのNEWSというグループがとても好きです。小学4年生の時に存在を知って好きになって以来、ずっと応援していて、わたしの人生においてすごく大きな存在です。

これを読んでいる人の中にも、わたしのように推しているアイドルがいるという人は多いんじゃないかと思います。日本にはいろんなアイドルがいて、その分いろんなファンがいます。人々は自分の好きなアイドル(推し)に対してなにを求めるのでしょうか。

わたしは、推しに対してさまざまな感情がありますが、最も大きいのは「元気に生きていてほしい」「幸せでいてほしい」だなと思います。そりゃもちろん、「CDをたくさん出してほしい」とか、「テレビにいっぱい出てほしい」とか、「公式うちわの撮影の時は前髪おろしていてほしい」とか、「コンサートでファンサしてほしい」とか、そういうふうに思うことはたくさんあります。けど、やっぱり生きていてくれたらそれだけでいいし、NEWSが幸せならわたしも幸せです。メンバー4人でにこにこ楽しそうにしてる姿なんか見たらもう、最高ハッピーでほかに望むことなんてありません。

なんか変な話になってきてしまいましたが(最初から変な話かも)、ファンがアイドルになにを求めていて、どんな見方で応援していたとしても、その人にとって推しが尊いということは変わりないな〜と思います。アイドルって素晴らしい。言いたいことはそんな感じです。

それはそうと、3回生になってからゼミが楽しくて嬉しいです。先生も同期のみんなもわたしのNEWSの話聞いてくれて優しいし。これからも頑張りたいと思います。

(4期生 りょな)

【vol.46】「コミュ力」ってなんだろう?(れみみん)

先々週のゼミで、「『コミュ力』って必要?」(『いろいろあるコミュニケーションの社会学』、2018、北樹出版)という文献をもとに、ゼミのメンバーで議論をしました。

文献には、「コミュ力のある人と言われると、”リア充”や”パリピ”といった人を想像する人が多いのではないか」という文章がありました。これに対して、「リア充やパリピと言われる人たちに本当にコミュ力があると言えるのか?」という意見が出ました。この意見に続いて、「そもそもコミュ力がある人とはどういう人のことを言うのか?」という意見も出て、これらの疑問を中心にメンバー同士でコミュ力について考えていきました。

最近、コミュ力とは逆に、コミュニケーション能力に欠けることを意味する「コミュ障」という言葉が使われることも多くなっています。自分のコミュ力に関して人に期待を持たれないように「私、コミュ障やねん。」という風に軽く使われることが多いと思います。これらの言葉の普及によって、コミュ力自体が何なのかということをあまり考えることなく、コミュ力はそれを「持つ人」と「持たない人」に二分されると、漠然と捉えられてしまっている気がします。

コミュ力とは、クラスで目立つような、いわゆるリア充やパリピと必ずしも結びつけらるものではないと思います。自分自身のことを考えてみても、アルバイトをしていてお客さんと接している瞬間は、比較的コミュ力があるのでは!?と思うことがあります。その一方で、大人数で話している時にあまり積極的に発言できない時はコミュ力ないな・・・と思います。つまり、コミュ力の有無は一つの基準で決まるものではなく、場面によっても様々に変わりうるものだと考えられます。また、発言が多い人の方がそうでない人に比べてコミュ力が高いと思われがちですが、果たしてそうなのでしょうか。人の話に耳を貸してよく聞ける人も、コミュ力が高いと考えることもできると思います。

今まで何気なく使っていた「コミュ力」という言葉を、自分自身とても曖昧に使っていたんだなと今回の議論を通じて感じました。議論の中で先生が言っていた「マージナルマン」(周辺人、境界人)は自分から意見を発信しつつ、多様な人の話を聞き、その立場にも立てる人ということでした。この言葉の意味を聞いて、真のコミュ力がある人というのは、マージナルマンなのではないか!?と思うと同時に、自分自身そのようなマージナルマンを目指したいと思いました。

(4期生 れみみん)