【vol.157】卒論に完璧主義は持ち込むな(7期生 とーや)

どうも、松岡ゼミ7期生唯一の男子であり続けたとーやです!お久しぶりであり、最後になるブログなのでかるーく見てもらえたらなって思います^ ^

さてさてみなさんは最近はどのようにお過ごしでしょうか。僕が今これを書いてる日は世はバレンタインデーという日らしいです(提出期限遅れで松岡大先生本当に最後まですみません)。きっと計算する女の子がいて、期待してる男の子がいる日常が流れていることでしょう。しかし個人的ニュースはやっぱり一昨日NFLの王者決定戦であるスーパーボウル、カンザスシティ・チーフスvsサンフランシスコ・49ersの試合ですね。史上最長の延長戦の末、チーフスが逆転勝利でペイトリオッツ以来19年ぶりの連覇。字面だけでもう面白いです。ちょっと待って!読むのやめようとしてるそこのあなた!おそらくこれを読んでる人の大半はなにを言っているのかわからないかもしれませんが、もしわかる人がいたらインスタでtoya.12_108と検索して連絡してきてください。ぜひこの興奮を共有しましょう^ ^

とまぁ、軽口話はさておき、ゼミや卒論を振り返るブログらしいので綴っていきます。本当に4年間は早いもので、あっという間にもう卒業となってしまいました。感覚的には入学式がつい昨日のことのように思い出せます。すみません、嘘です。私たちの代はコロナ禍真っ只中で入学式がなかったので、存在しない記憶ですね、はい。でもそう言いたいくらい早かったなと感じます。僕は松岡ゼミに2回生の頃から在籍していたので、松岡先生には約3年間お世話になったのですが、2回生は正直全くゼミに行きたくなかったです(小声)。これはラジオでも話したことですが、ありえないくらい静まり返っていて、zoom授業の影響からかハウリングする訳ないのに対面でも挙手制で発言するようなゼミでした。おそらくみなさんが想像している松岡ゼミというものとはほぼ対極にあったと思います。それを耐え抜き、今のゼミのメンバーになって本当によかったなとしみじみ感じます。

そして時は流れ4回生。個人的にはだいぶ色々とあって災難な年でしたが、なんとかやってこれました、なんとか。僕はゼミ生の中では珍しく2回生から卒論のテーマが決まっていました、、が、これがよくなかった。みんながテーマ決めに必死になっているな、と胡座をかいているうちにどんどん先を越され、最終的に1番研究が進んでいないポンコツに成り下がりました。完全にうさぎとかめ状態です。こんなブログ見ている後輩たちも多分あんまり響いていないと思います。だって去年の今頃、僕も卒論を終えた先輩のブログ、ぼーいさんのものを見ていて「卒論は早めにやっておけ」と散々書かれていたにも関わらず(おそらくまだ見れる?のでぜひ見てみて下さい)、今自分が全く同じことを書こうとしているのですから。つくづく学ばない人間で嫌気がさしてきますねほんと。しかし、みなさんはそうではない学べる人間だと信じて、僕からもアドバイスを送ろうと思います。

「卒論に完璧主義は持ち込むな」

例外はありますが、これに尽きます。どういうことかって?たかが学生の卒論で完璧にしようとするなってことです。それはもう傲慢なんです。もちろん、完璧を目指すことは大いにいいことです。ですが、今から言うことに当てはまる人はこのアドバイスを心に刻んでください。課題を期限ギリギリにならないとできない人。焦りが1番の原動力になる人。いわゆるゼロイチ思考である人。要するに、完璧主義な人たちです。当てはまらない例外の人たちは気軽に見てください^ ^ 完璧主義とは聞こえがいいですが、デメリットが多くあるのはご存知でしょうか。「できる」と確信するまで動かず、始動が遅れがち。人に頼ることが苦手。完璧でなければ失敗、とゼロイチ思考に陥りやすい。などなど。僕の大反省は、これらの意識をぜんぶ卒論に持ち込んでしまったことにあります。冷静に考えれば持ち込むべきではないと誰もがわかるはずなのですが、人生で最初で最後の卒論だし、さらには松岡ゼミというプレッシャー(伝われ)の中では僕には難しかったようです。なので、後輩たちが同じ思いをしないように忠告しておきます。こんなこと言っていいのかわかりませんが、適度に諦めてください。全然出来損ないでもいいので早めにやっておけば、修正に時間をかけれるので結果的にいいものができます。以上、非常に苦しんだうさぎさんからの現実的なアドバイスでした。

最後になりましたが、こんなダメ人間を見捨てずに指導してくださった松岡先生。気難しい性格な僕に対してふつーに接してくれたゼミ生のみんな。本当にありがとうございました!みんなとするラジオをはじめとしたゼミの活動はほんとうに楽しかったし、2回生の頃が嘘みたいでした。みんなの完成した卒論を見るのが楽しみです。俺のはあんまり期待せず見てくれることを願います。そして、これを見ているかもしれない後輩たちへ。ほんとうにがんばれ。この1年、就活や卒論など大事な時期がたくさんあると思いますが、自分のペースで自分を1番大切に過ごしてください。それでは、名残惜しいですが最後のブログを終わらせていただきます。

アリーヴェデルチ!!

(7期生 とーや)

【vol.156】人生はたぶん、決められた道を歩いてるんだと思う(7期生 ちはる)

ちはるです。

私は、人生ってあらかじめ何が起きるのかが決まっていると思って生きています。

そう考えると、なにか大きなショッキングなことがあってもああ、これは自分に起こるはずのことだったんだって受け入れられるのかなーって思います。

もし今自分の生き方に満足していなくても、無理にこれからの人生変えるぞ!とか意気込まなくても、自然に何かあるでしょ、とか思うレベルでいいと思います。
というか、もし自分の人生の転機が近づいた時には自然とやる気というか、そういうのがみなぎってくるものだと思います。(知らんけど)
無駄にエネルギー使いたくないので…(^^)笑

そして、私がこの大学に入ったのも、松岡ゼミで3年間を過ごしたのも、すべて既に決まっていたことなのかもしれません。

そんなこんなで、22年目の人生に突入したわけですが、大学生の最大関門の卒論を無事に終了しました。

私の卒論テーマは人間の性癖についてでした。

なんかテーマ的に大学のイメージを下げかねないのかなあ…と思う部分もありますが、逆にこんなのもやっていいんだ!みたいに思ってくれる人がいたらいいなあと思います。

やっぱり人間の欲について考えるのはすごく興味深いというか、果てしないなあと思いました。
欲って誰かに教わらなくても急に出てきたりするから、欲の元とかってなると人の数だけあって調べきれないんですよね。

本当に変なテーマですみませんでした。笑

でも、松岡ゼミで過ごした3年間はとても楽しくて、有意義な時間になりました!

みんなの研究テーマもすごくおもしろかったし、勉強になることもいっぱいありました。

こんな私と仲良くしてくれてありがとうございました> ̫ <!

最後に、私のこれからについてですが…

自分でも正直どうなるかなんて1mmもわかりません!
でもそれでいいと思ってます。
先述したとおり、人生は何が起こってるか決まってるからまあなんとかなるでしょうという精神です。

でも、その精神で生きてるからっていって、毎日怠惰な生活を送ればいいやとは思ってないです。
自分ができることや今やりたいことを最大限にやった結果、何が起こってもそれを受け止められるようにしたいんです。

松岡ゼミの皆は真面目な子が多いので、こんな破天荒な人間が珍しく思われると思いますが…笑
とにかく何かあってもなんとかなる!って思いながら生きていたいし、皆にもそう思って生きてほしいな〜とか思ってます。

松岡先生にもすごくお世話になったし、ゼミのメンバーにも本当にお世話になりました。
ありがとうございました(T_T)

(7期生 ちはる)

【vol.155】わんちゃん卒論で社会に一石投じれた!?(7期生 ゆずか)

もうすぐ学生が終わろうとしてます!
どうも〜、ゆずかです。

早いもので学生生活が終わろうとしてて、旅行とか内定先への書類の提出とかいろいろあってバタバタしてる今日この頃です。

さて、卒論の振り返りとか自分の学生生活の振り返りをしたいと思います!

まず、卒論ですが、テーマがテーマだけに親や親戚に卒論何書いてるん?と聞かれても自分はずっと隠してました。聞いてもわかってくれないだろうなとか、恥ずかしいなとか書いてる自分がそう思ってたから、そこを開示できたらよかったのになとちょっと後悔してます。

テーマは、ざっくり言うと女性が自由に性愛を語れるようになったのか?です。じゃあ何で性愛について研究しようと思ったのかそこを少しお話しします。私は中学生の頃から割と下ネタだったりHな話をする方でした。周りの子もそういう話をしてくれる子が多く、自分の中では性愛を語るのは割と簡単?誰でも喋れる?と思ってました。ですが、大学に入学するとそういう話をしている子は一部で、皆んなが皆んなするような話ではないことに気づきました。自分の中では割とベーシックな話題が皆んなとは違うと思った時に、研究をすると面白そうだなと思って研究を始めました。あとは、その頃「純猥談」という匿名で自分の性愛について語るサイトがあることを知り、それも盛り上がっていたので、リアルとSNSやYouTubeの性愛の語りの違いにも興味を持ったのもきっかけの一つです。この研究を通して、自分の立てた問いが社会のタブーとか触れてはいけないところにちょっとでも踏み込めることができたのではないかと思ってます。大それたことは卒論には書けてないけど、性愛というセクシュアルな問いから今の日本の女性像が見えてきた気もするので、このテーマで卒論が書けたことに満足しています。

そして、ある時松岡先生がこのテーマいいんじゃん!それにしよう!と言ってくれないと私はこの卒論を書くことはできていなかったと思うので、先生ありがとうございます!と伝えたいです。

次に、松岡ゼミの話をします。松岡ゼミは自由です!とにかく!さっきも言ったように、テーマに関しても自由だし、ゼミ内でやることも特に決まりはありません。そこが私がこのゼミを決めた理由です。他のゼミを批判するとかではないけど、ゼミによったらやることを決められてて、全員で一つのことをしなさい!みたいな全員でとかグループでとか皆んなで作り上げていこ感がぷんぷんするゼミもあるイメージです。それに比べると松岡ゼミは、全員で何かをするにしても割と自由だし、各々が各々の興味や関心に寄り添えるような人たちばかりだったと思います。だから、3年間松岡ゼミに所属できたし、居心地のいいゼミだったように思います。

そして、最後に私の学生生活を振り返させてください!!私は、田舎出身で都会に出たいという浅はかな思いで奈良にきました。(実は奈良も田舎だった…)あまり、これがしたいとか友達できるかなとかそんな希望や不安もなくふらふらと奈良に来てもう4年が過ぎようとしています。コロナもあったし、ちゃんと大学生活できたのぶっちゃけ2年半?とかじゃないかなって思うぐらいあっという間でした。大学生活の主な出来事で言うと、2年生の時に大学の委員会の委員長をしてました。いろいろ大変なことがあったり、人の気持ちを汲みすぎて自分がしんどくなったりすることもめちゃくちゃありました。けど、自分がどんな人間でどんなことが得意でどんなことが不得意なのか、自分のいいとこも悪いとこも含めて自分と向き合えたような気がします。大学ではありがたいことに何でも相談できる友達ができたし、この大学に来たことは間違ってなかったと心の底から思えるぐらいに大学生活に後悔はありません!

次は社会人です。。なりたくない気持ちと生活が変化することへの期待が入り混じってます。社会人もぼちぼちと頑張りつつ、また先生やゼミの皆と会いたいと思ってます!

長々といろいろなことをお話ししました!
最後に、皆さんも自分がこのゼミで2年間頑張れるゼミを是非探してみてください〜!ではまた!

(7期生 ゆずか)

【vol.154】突然ですが占ってもらいました!(7期生 えんどぅ~)

2023年12月末。
私は人生で初めて占いに。
自分の性格。新社会人生活。恋愛。家族のことなど…占ってもらった。

口コミ通り、自分で分かる範囲のことは当たっていた。
しかし、正直なところ「自分で思っていた通りじゃん」という気持ちだった。

勿論、名前と年齢が書かれているだけの紙の上に手を組み、数分間目を閉じただけで全てのことを言い当てた占い師はやはり凄い。
けれど、私が考えていたことと全く一致していて、自分のことは自分で把握できているのだと少し誇らしい気持ちになった(そして暫くは占いに行く必要はなさそうだとも思った)。

特別な能力を使わずとも自分のことを把握できていたのは、ゼミの影響が大きいと思う。

占いについてもう少し書いても良いが、最後のブログということで、ゼミの活動が私にどのような影響を与えたのかを振り返っていくぅ~。

私の個人的な話が多くなると思いますが、しっかりと振り返りをして卒業したいという気持ちがあるのでお手柔らかに何卒。

▼きっかけ
私は2回生から第一希望で松岡ゼミに入りました。
今、書いているこのブログが第一希望にした理由。

当時は、ゼミのブログがあるんだ、なんか面白そうだなぁ~。という感覚でした。
今思えば「何かを表現できる」というところに魅かれたのだと。

▼2-4回生の取り組み
その後、無事、松岡ゼミ生に。
ゼミ生の方はご存じの通り、ディベート形式のゼミ。
この点にも興味を持っていたものの、実際にやってみると難しい…。
自分の意見を言わねば!と思えば思うほど、これが正しいです!みたいな発言になっちゃう。もどかしい気持ちのまま、いつもゼミが終わっていく…

そんな思いを抱いていた一方で、2回生後期から大学の講義に楽しさを感じるように。
もっと色々な考えを知りたい!と思い、新書や人文書を読み始めました(高校生までは全く本を読んでこなかったが。本よりも現実っしょ、と思ってた。とほほ…)。
様々なものの見方や素敵な人たちの考え方を自分に落とし込み始めました。

そして3回生。
松岡ゼミ7期生、最初のプロジェクトはラジオ。その名も「鹿の国からラジオ」。
研究テーマ以外のこともゼミメンバーとゆるっと対話する機会が。
中でも、たくさんの先輩方にご協力を頂き、「働く」や「就活」についてお話ししたのが印象的。
松岡ゼミ卒業生と一口に言っても、様々な働き方や生き方が…!
でも、キラキラされているという点では共通していて、社会人楽しそう!私もこんな素敵な大人になりたい!と刺激を受けました。
自分のやりたいこと、仕事を通してどのように社会に貢献したいのかを前向きに考えるきっかけに。

そしてあっという間に4回生。
履歴書ってマイナスのこと書けないよね、という問題意識からコラージュを作成。
社会からは見過ごされてしまうけど、自分にとっては大切な考え方や哲学を表現。
コラージュ作品という点では同じでも、まったく違う仕上がりに。
みんなの作品を鑑賞している時がとてつもなく楽しかった♪
ゼミメンバーからのコメントで「私らしさ」ってこれなんだって腑に落ちた。

お次に、授業って受けさせられている感じするよね…という意見が。
自分たちが主体となって受けてほしい授業をつくろうよ!と。
「世界一受けてほしい授業」(そのまんま…笑)を開講!
私のサッカー(鹿島アントラーズ)愛を聞いてくれて、観戦まで一緒に行けて嬉しかったなぁ。

▼ゼミ振り返りまとめ
ゼミでは「表現」をたくさんしてきたなぁと改めて実感(すべて書ききれていません…)。

インプットしたものを鵜呑みにするのではなく、一度立ち止まって考え、「なぜ?」を探求してきたなぁとも思います。そして、自分たちで考えたものをテキストであったり、対話であったり、プレゼンや作品で人に伝えた経験が力になっているなと感じます。
様々な取り組みを通じて、「私って企画を考えるのが好きなんだ」とか「何か知ったら実際に試したくなるんだな」とか自分を知ることもできました。
この3年間があったから、何事においても自分なりに考え、行動に移すことができるようになったのだと思います。
けれど、このことができようになったのは何よりも環境のおかげ。
大学生で考える時間がたくさんあり、一緒に考えられるゼミのメンバーがいて、考えたことを発表するたびにいつでも松岡先生が「面白い」と言ってくださったからです。
先生は、発表や意見を言うと必ず「面白い」「面白いなぁ」と仰っている(言っているというか、独り言のようにボソッと)印象があります。
「面白い」って言わせたいなぁ~と思って発言することも…(てへ)。
でも、何よりも、受け入れスタンスがあったから、恐れずに挑戦しようという気持ちになれたのだと思います。本当に感謝しています。

▼これからのこと
(無事に卒業できれば)私は来年度から社会人になります。
生きるためには働くし、働くためには生きなければなりません。
加えて、私は「表現」しなくては生きづらいのだと3年間のゼミを通して気づきました。
「表現」といっても大層なものではなく、今の私にとっては「書く」ということ。
前回のブログで書いたように、私は頭の中でグルグル考えてから、やっとこさ自分なりの考えを見つける自称こじらせ人間。そして、書いて文章にして整理したいのです。
だからこのブログは大変助けられていたのですが、もう卒業ということで自分のブログを作っちゃいました!まだひよっこですが、細々と続けていけたらなぁと思っています。
もし、興味ある方はリンクから飛んでくれると嬉しいです♪
https://note.com/yui_nichijo
最後、告知みたいになってしまったけれど。

まとめると…
松岡ゼミ生として大学生活を過ごして、素敵な先生と友達に出会えて、自分のことが分かって貴重な時間を過ごしたなぁと思っています。
これから先どうなるかわからないことだらけですが、ゼミで学んだ、“立ち止まって、自分なりによく考え、行動する”という姿勢を守りながら自分が面白い、大切にしたいと思う気持ちを信じて行動していきたいと思います。

(7期生 えんどぅ~)

【vol.153】好きなことを好きと伝えられる場って大事(7期生 あや)

こんにちは~!
今回は4回生のあやがブログを書きます(^^)

私は1月末にやっと就活を終え、バイトもやめ、2月に入ってからは未読だった本を1日中読んだり、サブスクで気になっていた映画を2、3本続けて観たりと夢見ていたグータラ生活を送っております✌

そしてブログの締め切り日を明日にむかえた今、後回しにしていたブログにやっと手を付け始めたところです。

さて、卒論もゼミもおわり、残るは卒業式のみ。
あっという間に大学生活も終わり…ってなにがなんでも早すぎる!なんかの間違いであってくれー!
そんな心の叫びもむなしく、4月から社会人になるという受け入れがたい現実が待ち構えています(´;ω;`)

私たちは入学時に丁度コロナ禍に入ったこともあり、大学生になった実感がないまま卒業まできてしまった感じがあり、正直あと2年は大学生でいたいです(笑)

私は2回生のときからずっと松岡ゼミ生でした。
1回生のときから漠然とサブカルチャーには興味を持っていましたが、特に「これに興味ある!」とか「これが研究したい!」とかはなかったので、「どんな研究テーマでもウェルカム!」といった感じの松岡ゼミに入るほかないと思い松岡ゼミを選択しました。

松岡ゼミに入るまでは、自分の興味のあることや好きなことを自分から話すことはあまり無く、すごく親しくなった友人くらいにしか話していませんでした。
話す相手と好きなことが共通していれば話しますが、そうでない場合、一方通行の会話になってしまうような気がしていたからです。
まあ、もともと自分のことを話すより、相手の話を聞く方が純粋に好きだったという理由もあります。

しかし、松岡ゼミに入ってから、「最近こういうことを思っていて…」といった私自身に関する話をする機会が増えました。
それは、松岡ゼミには周りの目とかほぼ気にせず、限りなく自由に自分の興味のあることを研究テーマに設定できる、また研究テーマに関わらずとも自由な対話ができる、そんな場があったからです。

話を絶対に否定することなくまず受け入れてくれるゼミ生のみんなや松岡先生がいてくださったことで、「私ってこんなことにも興味持ってたんだ!」とか「実はこれが好きだったんだ!」と自分の新たな一面に気付くことができました。

そしてそういった経験の中で、私は卒業論文のテーマを決めることができました。
というのも、テーマが決まったきっかけがゼミ内で自由に意見を交流するフリートークにあったのです。

私はその時(今もですが)ホラー関連の動画にはまっていて、「心霊現象とかって信じる?」という怪しすぎる話題をフリートークにぶっこんだのです。
その時は正直大学生にもなって心霊がどうのこうのってバカにされるんじゃないか、という思いも少しはあって、まあでもバカにされても別に仕方ないか、くらいに思っていました。
そんな心配とは裏腹に、実際はゼミ生のみんなや松岡先生は白けた顔をすることなど一切なく話を聞き、良い感じに話を広げてくださいました。

実はそのフリートークを踏まえて書いたのが、約1年前の「「心霊現象」はただの勘違い?それとも「幽霊」のせい?」というタイトルのブログになるのです。

小学生のときは「怪談レストラン」というアニメを観ていたり、図書室で「学校の怪談」を毎回借りたりと、もともとホラー関連のことに対しては何となく気になるんだよな~という自覚はありましたが、強烈に好き!という自覚まではありませんでした。

しかしこのフリートークを通して、ホラー関連の話をするとこんなにワクワクして、話をすればするほど疑問がでてくる、そしてそれを心から調べてみたい!と思える自分の新たな一面に気付くことができました。

こういった流れで恐怖や不安をエンタメとして楽しむ現象に興味を持ち、ホラーコンテンツの流行と日本社会の関連性を調べる卒業論文を書こう!と決意しました。
最終的には「ホラーコンテンツと日本社会の変容―〈反現実〉のモードから考える恐怖の文化―」というテーマの卒業論文になりました。

就活とバイトと並行しながらだったので時間的な面で「卒論完成させるのしんどっ!」と思うことはありましたが、卒論に取り組むこと自体は、本当に自分の興味あることに真剣になれた時間でもあったので、そういった点ではすごく楽しかったし良い経験になったと思います。

そして、これは卒論に取り組むときだけではなく、就活をしていても強く感じたことですが、自分自身がどんな人間か自分の中で考え込んでいても結局よくわからないままでも、人とのほんの些細な会話や交流が、自分について知る大きなきっかけになるということです。
それこそゼミであったり、他にも環境を変えて初対面の人と話してみたりすると、「あやさんってこういうの向いてそう」とか言ってもらえたりして、「あ、自分ってこんな一面ある人間なんや」と思うことが多々ありました。

話はちょっと変わりますが…

こんなこと言ってる私でも、ゼミに行くのがめんどくさいと思ったことが1回も無い、というわけではありません。
外見的に「真面目そう」と思われることが多い私でも、そりゃあ布団が恋しすぎてなぜこの布団から離れてまでゼミに行かないといけないのかと思ったことはあります(笑)

ただ、ゼミに行くのが嫌だと思ったことは最後まで1回もありませんでした。
高校までの学生生活の中では、人間関係やら部活のことで嫌なことがあり学校に本気で行きたくないと思ったことは少なからずありましたし、大学に入ってからも他の講義などに出席するのが嫌だなと思ったことは何回かあります。
しかし、ゼミではこういった感覚を味わうことがありませんでした。

それは、ゼミ生のみんなとおしゃべりできるのは純粋に楽しかったし、
それぞれ自由に意見を出し合い色々な目線から物事を考え価値観の相違に気付ける社会学はとても面白いと感じていたからです。

毎週ゼミに出席していると、この環境があることが当たり前のように思っていましたが、卒業を控えた今、これは決して当たり前の環境ではなく終わってしまうものだと実感し、寂しさをひしひしと感じています。

私は今までいた実家から離れる予定もあり、「大学を卒業してからもこんな環境に出会えるんかな?人見知りもあるし、かなり難しいんちゃうかなぁ…」と実は結構不安に思ってたりもします。

それくらい、このメンバーと共に松岡ゼミに所属できたのは奇跡的なことだと思っています!

大学生になってからの人との出会いは決して多いとは言えないし、新しくできた友達も少ないです。でもこの時期のゼミでの縁は、私の人生においてはトップ3に入るくらい大切な縁だったなと感じます。

ゼミ生のみんな、そして松岡先生、今まで本当にありがとうございました!!

そして最後まで読んでいただいた方もありがとうございました(^^)/

(7期生 あや)

【vol.152】つめこんだ常識のさらに奥の非常識(7期生 もり)

このブログのタイトルをみてピンときた人は是非ともお友達になりたいですが、多分いないと思うので、自己紹介も後回しにして先にタイトルの説明をしますね!これは『MIROKU』というレゲェ楽曲の歌詞の一部です。知ってる人いるかな…

まぁこのタイトルは後々回収するので一旦私の4年間を語らせてください。

皆さんは大学に対してどんなイメージを持ってますか?私が高校生の時は「オシャンティーなコーヒー片手にMacBookでレポート書いて、その後は皆とランチorディナーとか?笑」なんて事を妄想してました。まぁそんな事この4年間で1回もなかったです。これっぼっちもありません!!!声を大にして言わせてくださいマジで。

さていよいよ待ちに待った大学生活だぞ!と思って蓋を開けてみたら、現実は”コロナ禍によるリモート授業”。詰んだ〜!!!まず友達はすぐにはできませんでした。(でもこれ単純に私に友達作りの積極性がなかっただけかも…まぁええけど)友達もいない状況で「履修ってどうやんの!?」「1年生は何単位まで取れるんやっけ!?」「ZOOMよう分からん!!」とアタフタしながら半べそかいて授業受けてました。友達の存在、偉大。なので1年生と2年生の前期はほぼ大学生らしい生活というものが皆無で、不安と落胆の約1年半でした。

2年生の後期にやっとこさゼミが活発に活動できるようになって、履修の相談とか、どの授業が単位取りやすいかとか、色々相談ができるようになって…なんか物足りねぇけど、ちょっと大学生っぽいことできてる!?(笑)なんて思ったり思わなかったり…

そんなこんなで2年生も終わって、え!?あと2年しか大学生活ないんですか!?とここで気づきました。コロナのせいでほぼ記憶なし。1年生の記憶なんてもう欠片もない。なので私はちょっぴり今の1〜3年生が羨ましいです。あ、でも3年生もギリギリコロナでリモートのときあったかな?気持ちわかってくれる?

まぁ懐古はこのぐらいにしておいて、遂に3,4年生に。3,4年はゼミも変わらないので、どのゼミに行こうか悩みましたが、人気の高かった松岡先生のゼミを希望しました。松岡先生のゼミは人気やし、行けるかな〜…なんて心配でしたけど、なんと!結果は入れました!そりゃそう!じゃないとここで松岡ゼミ恒例のブログなんて書いてない!ブログあるなんて知らんかった!!先に教えて欲しかった!!

松岡ゼミの良いところって、やっぱりなんでもさせてくれる所です。”なんでも”って言ったら誤解されそうやけど、自分が気になることとか、やってみたいこと、してみたい研究、色々生徒中心にさせてくれました。基本的な社会学のアレソレは教えてもらうけど、それを踏まえての先にある”何か”を新しく創るスタイルが私にはハマったのかな。

松岡ゼミで1番好きやった企画は「世界一受けて欲しい授業」。本来教えを乞う立場の生徒が、自分の好きなものを周りにパワポで教えるというもの。これ、今後もやっていって欲しい。ガチで楽しい。このブログを読んで気になったら是非やって欲しい。もう1回やりたかったなぁという心残りがあるから、しつこいけど何回も言うね、是非やってくださいこの企画。頼んだで!

ここまでなんやかんやダラダラと書いてきましたけど、ゼミなんて楽しいだけじゃないです。結局皆ぶち当たりますよ、「卒論」という壁にね。今から不安になってる人もいるかもしれません。そんな不安がってる貴方に寄り添いたいので、私が3,4年のとき卒論に対して抱いていた気持ちを箇条書きでお伝えします。

・ムズい
・ダルい
・分からん
・進まん
……以上

そりゃそう。まずどう書けばいいか分からんし、パソコン開いてもただただ眠たくなる。めっちゃネガティブな事言ってますけど、皆結局この気持ちが8割占めると思います。分かるよ、その気持ち。痛いほど。

でもね!さっき私が言ったこと覚えてますか?松岡ゼミ、マジでどんな研究でもさせてくれます!モラル無いのはアカンよ、当たり前やけど。私の卒論なんて「おもてなし武将隊」についてですよ!?知らんでしょ(笑)多分、卒論って聞いたら難しいテーマじゃないとダメなのかなって思いますよね。○○的なんちゃら〜とか、○○と○○のナントカカントカ論とか。大丈夫。私「おもてなし武将隊」についてやから。私が大好きで興味のある武将についてならなんとかやる気を出せました。絶対に誰しも好きなものがあります。あるはずです。それをとことん楽しみながら研究して欲しい。他のゼミがどうか知らんけど、松岡ゼミではさせてくれました。「こんなん研究してええんかな…」って悩んでるなら、まず取り組んで欲しい。パイセンはそれを願うばかりです…。

と、言うわけでブログのタイトルを回収します。序盤でも言った通り、これはRickie-G、韻シスト、鎮座DOPENESS、CHOZEN LEE、AFRAによるレゲェ楽曲「MIROKU」の歌詞の一部分です。一部分だけじゃ「?」だと思いますが、歌詞はこう続きます。「つめこんだ常識のさらに奥の非常識な世界につれてこ 凝り固まった頭ほぐそうぜハイな音楽でハイになろうぜ」

卒論を書くとき(卒論に限らなくてもいいですけど)私がずっとモットーにしていたものです。常識とか既存のものにとらわれず、なんでもハテナの精神を持って欲しいなと思います。好きなものほど盲目的になりやすいですが、それにもハテナの目を向けるとめちゃくちゃ新しいものが見えてきます。それが自分と相性のいい卒論のテーマになるかもしれません。ちょっとしたアドバイスです。役に立つかは知りません。保証もしません!役に立ったなら本望。

そして行き詰まったらカッチコチでヘトヘトになった頭をほぐしてあげてください。常に全力でせずに、たまには好きな事してハイになってください。私はカラオケでラップ歌いまくって卒論の”そ”の字も出ないくらいハイになりました。この緩急、絶対大事。書けない自分を責めないで欲しいし、本当に研究したいテーマを諦めないでほしい。ふとこの歌詞を思い出して欲しいなと思っています。

卒論に限りません。バイトとか、色んなことで溜まったストレスや不安とかも好きなことしてハイになってスッキリしたら次は絶対なんやかんやイイ感じになります。……多分!

この「MIROKU」という楽曲は、他にも刺さる歌詞が沢山あります。ほんの一部、私が卒論でアタフタしてたときに助けられた歌詞を紹介します。

「一人きりじゃ築けない”気づき” 行き着く先を楽しみ それまでのんびりやらせていただくとして今日はなにしよう、右往左往しつつも毎度ありつけているよ」

分からなければ先生や友達に聞いて、それでも詰まったら休憩して、ボーッとしたらアイデアが浮かんでなんやかんやで卒論書き終わってます。そんなもんです。右往左往の末に終わって、最後は「もっと大学生活したかったな〜」なんて思っちゃったりもします。

私のクソ下手アドバイスは伝わりましたでしょうか?伝わったことにしよう。ていうか普通にこれ私の好きな楽曲を教えたかっただけです。ここまで書いてきたことに嘘偽りは無いですけど、これ全部「MIROKU」を薦めたいが為の下地で〜〜す!!皆〜!!MIROKU聴いて〜〜!!!最終的にラップとかレゲェにハマって〜!!!後生や!!!

私の一番の気持ちを伝えられたので満足しました。満足したところで、自己紹介するの忘れてたので最後にチラッとしときます。松岡ゼミ7期生のもりでした!皆!卒論頑張れよ!!では!!!

(7期生 もり)

【vol.151】卒論お疲れ様でした!!(7期生 サン)

卒論を振り返りにやって参りました、サンです!

私の卒論のテーマは「恋するアイドルオタクー当事者化したオタクが没入するコンフルエント・ラブー」というもので、アイドルオタクと恋愛感情について研究しました。

入学してからこのテーマに辿りつくまで、実は片手では数えきれないほど研究テーマを変更してきました(笑)そして、3回生で松岡ゼミに所属してからも揺らぎつづけ、最終的にテーマを確定したのは4回生の4月頃でした。それまでの約1年間は「監視社会」の研究をしていたので、かなり大幅にテーマを変更したことになります。変更した理由は、研究を進めなくてもなんとなく研究結果の想像がつくことと、自分自身が研究をあまり楽しめてないことにありました。効率重視で物事を進めがちな私は、研究計画の段階から「大体このようなことを書いて、このように終わればいいや」という全体の構成を想定してテーマを設定し、興味があることよりも「出来そう」と思うテーマを選択してしまっていたのだと思います。知識も大してないのに、、お恥ずかしい話です、、、

その点、オタクと恋愛というテーマは、「これを研究して何になるんだ」「結論はでるのか」という不安はありながらも、本当に興味がある分野でした。これまで1年間やってきたことを全て捨てて、テーマを変えるというのは多少の勇気が必要でしたが、今考えてみるとテーマを変えて本当によかったと思います。

というように、卒論に関してはテーマ選択から終わりまで、悩みながらも割とポジティブに取り組めた気がします!先が見えなくて現実逃避したくなった時は、「fighting(BSS)」のMVを無心で鬼リピしていました(笑)結果として、以前の私が想像していたような「苦悩の末の・辛かった卒論」ではなく、うまく言語化できないですが「頑張った卒論」が完成したという感覚を得ました。ともかく、みなさま本当に卒論お疲れ様でしたーーーー!!!

最後に、松岡先生、松岡ゼミのみなさま2年間ありがとうございました!!普段からせっかちで現実主義でおもしろくない私ですが、性格も趣味も研究テーマもバラバラで楽しすぎるゼミ生のみなさまのおかげで、いろんな楽しいイベントを作ったり参加することができて本当に嬉しかったです!改めて本当にありがとうございました!

(7期生 サン)

【vol.150】卒論の振り返りと教訓のようなもの(7期生 あおい)

松岡ゼミ7期生のあおいです。
「卒論終わったのに、ブログの課題があるのかぁ〜」と思わなかった事もない事もないですが、最後なのでしっかりとやり切ります!

私の卒論は「女性はなぜネイルをするのかー自己満足/承認欲求の二元論を超えてー」です。内容の説明はタイトルを見てもらえれば何となく予想できるかと思うので割愛させて貰って、卒論を通して、養えたのではないかと感じる能力?について書いていきます。

その能力っていうのは、時間管理の能力です。
提出期限のギリギリに研究報告のレジュメを提出してしまう事もあったとは思いますが、絶対に提出期限を守るという事を意識して卒論に関する活動に取り組んでいました。
提出期限を守るのは当たり前だとは思うのですが、慣れ親しんだ先生への提出なので、緩みや甘えが出ないとも限らないじゃないですか…。
(松岡先生優しいし、ちょっと遅れてもいいやって思った事ある人居ませんか…?)
なので、「いつまでに出すぞ!」って、意識をしていたんです。
新たな知識や価値観、考えを得る事ができた卒論でもあり、提出期限を守る=約束を守る、という当たり前を当たり前にできる様になるための卒論でもあったなぁと、今振り返ると思います。
それと、提出期限を守るにはどう時間を使えば良いか、という事を考える様になり、自分が作業や課題をどのくらいで行えるかの予測が何となくできる様になったのではないかと感じています。(勘違いじゃない事を願ってます…。)
卒論は自分のキャパや処理能力の速度?を知る良い機会になったと思っています。

ではでは、卒論の振り返りはこの辺にして、ここからは、私が卒論に取り組んで得た教訓のようなものを、これから卒論に取り組む下級生達に伝えようと思います。
「卒論嫌だ!!!やりたくない!!」って思ってる人達には是非是非読んでほしいなぁと思います!

まず1つは、「面白い卒論じゃないといけない訳ではない」という教訓です。

私は「松岡ゼミに所属する学生は面白い卒論を書かなくてはいけない」と思っていたんです。
というのも、3回生に進級する際のゼミ訪問で、松岡先生からゼミ生達(卒業生、同級生)の話を聞いて、「皆ユーモアのある他人と中々被らない題材を研究している=私にも面白い卒論、研究を求められるのでは…?(恐怖)」と勝手ながら解釈していたからです。
でも、実際に卒論に取り組み始めて、ゼミの皆が、「客観的な面白さではなく、主観的な面白さを追究している」って事に気が付きました。
それと同時に、主観的な興味関心をとことん突き詰めてる研究は、他の人が読んでも面白いんだという事も知りました。
なので、私は自由に思ったままに卒論に取り組むことができました。
だから、もし、これから卒論を書く下級生で、私と同様に卒論に対してプレッシャーや不安を抱いている人が居るなら、面白い卒論じゃなきゃいけないって思わず、自分のやりたい事、興味関心のある事を卒論の題材にして自由に楽しく前向きに取り組んでほしいなぁと思います^^ あと、自分の興味関心を卒論の題材に選ぶ事で、「卒業するために嫌々取り組む卒論」から「自分が気になる、面白いと感じるから取り組む卒論」に変わっていきます。 自分が知りたい内容なので、やる気も必然的に出てきます。 前向きに取り組んだ卒論は内容が充実し、考察も鋭く、自然と面白くなっていきます。 というように、好循環になると思うので(多分、知らんけど)、何でもいいので好きな事を題材にしてみてください^^

もう1つの教訓は、「早く始めなきゃいけない訳ではない」という事です。

親も卒業生も教授達も口を揃えて、「卒論は早めに(就活終わったら)取り組んだ方が良い」と言っていますが、私はこれに異論を唱えたいと思っています。
もちろん、早めに始めた方が良い場合もあるとは思います。
例えば、公共団体や公共機関にインタビュー調査をする場合や不特定多数の調査対象者にアンケート調査を実施する場合等は、入念な事前準備や調査の時間確保が必要になるため、早めに取り組んだ方が良いと思います。
あと、卒論のテーマが全く決まっていない場合やテーマの幅が狭過ぎたり広過ぎたりする場合もです。

でも、以下の4つの条件が揃っていれば、あくまでも私個人の意見ですが、そんなに早めに卒論に取り組まなくても大丈夫なんじゃないかなぁと思います。

条件①卒論のテーマが明確に決まっており、構想や流れが大体確定している事
条件②卒論に必要な文献や論文、著書が分かっている事
条件③20,000字程度書ける見込みがある事
条件④どのくらいの時間があれば卒論を書き終えれるかの予測ができている事

私的には、「早めに取り組む」という事に執着すると、「惰性」の気持ちが出てきてしまう可能性があるんじゃないかなぁと思っています。
(私自身が時間に余裕があるとやる気が出ないタイプだからかも知れませんが…。)
あと、めちゃくちゃ有難い事に、松岡ゼミは卒論に関する研究報告が定期的にあるので、そこで卒論の大枠は完成できちゃいます。
卒論=研究報告の積み重ねと言っても過言ではないので、研究報告をサボらず取り組んでいれば、卒論で苦労する事はほぼないと私は思います。
なので、「早くやらなきゃ」と意気込み過ぎず、自分のペースを保って進めていってほしいなぁと思います^_^
でも、ちゃんと提出期限は守ってくださいね!

ここまで読んでどう思いましたか?
「面白くなくていいし、好きな事調べて書いていい」「急いで取り組まなくていい」って分かったら、「卒論案外いけそう」って思いませんか???
そうなんです。
意外とできちゃうものなんです。
私でもできたので、絶対皆できます、多分。
(まぁ、でも、松岡先生は面白くて提出の早い卒論がお好みかも知れないし、求められてる卒論の質や基準もまちまちなので、いい塩梅で取り組んでください…。)

あと、伝えたい事というか分かった事として、卒論は個人戦じゃなく団体戦です。
添削や助言をしてくれる松岡先生やインタビュー調査に参加してくれる友達が居なかったら、私の卒論は完成してなかったです。(皆さん、本当にご協力ありがとうございました!!!)
なので、自分1人で取り組むものだと思わず、周りの人に協力を仰ぎ、周りの人に感謝して頑張ってください^_^

最後に、松岡先生、ゼミの皆、2年間お世話になりました!!!
学校に来るのは面倒臭くて苦手だったけど、ラジオとか世界一受けてほしい授業とか人生ゲームとかゼミ活動自体は楽しかったし好きでした!!
また人生ゲームしたいので、一緒にしましょう!!!!
本当にありがとうございました!!!

(7期生 あおい)

【vol.149】歌詞の鳴る木(8期生 たまちゃん)

こんにちは!松岡ゼミ8期生のたまちゃんです。私は中学2年生の頃から女性アイドルが大好きなので、〇期生という響きに少しワクワクしています。今回は、先日松岡ゼミが主催したイベント「ピンポーン!」の中で、私が企画した「歌詞の鳴る木」というブースについてお話します。

まず、イベントに来場してくださった皆さん。そして、私のブースで桜のカードに歌詞を書いてくださった皆さん。本当にありがとうございました。60名以上の方の協力のお陰で、冬でも桜が満開になりました。私がこの企画をやりたいと思ったのは、ある歌詞がきっかけでした。

―花のない桜を見上げて 満開の日を想ったことはあったか?― 欅坂46『二人セゾン』

私はこの歌詞を、「まぶしい過去」と「輝かしい未来」という2つの捉え方があると思っています。つまり、「過去の満開」と「次の満開」。桜は、桜の木が枯れない限り、必ず満開の日が訪れます。それは、早い年もあれば、遅い年もある。人の人生も、死なない限り、満開の日が訪れるかもしれません。でも今は、満開にはほど遠いかもしれない。過去にまぶしい日々があったかもしれない。だからこそ、今は、満開の日を想像していよう。そんなことを考えながら、この曲を聴いています。この歌詞をきっかけに、「音楽の力を借りて、みんなと桜の満開を想像したい」という想いから「歌詞の鳴る木」を企画しました。なんとなく、満開にはならないと思っていたので、もっと大きい枯れ木を用意するべきだったなと少し、後悔しています。本当に、本当にありがとうございました。

最後にちょっとだけ、大学生に聴いて欲しい曲を紹介させてください!

① サイレントマジョリティー:欅坂46
「夢をみることはときには孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ」

② 誰がその鐘を鳴らすのか?:欅坂46
SNSでの争いや誹謗中傷に焦点を当てた曲。「際限のない自己主張は ただのノイズでしかない」「一度だけでいいから 一斉に口をつぐんで みんなで黙ってみよう」

③ 黒い羊:欅坂46
「自らの真実を捨て白い羊のフリをする者よ 黒い羊を見つけ指を差して笑うのか?」
MVがおすすめ!自殺・LGBT・ネグレクト・就活生・いじめなどが取り上げられている。

④ エキセントリック:欅坂46
「普通なんかごめんだ 僕は僕でいさせてくれ」

⑤ 太陽は見上げる人を選ばない:欅坂46
「共存をしたことでどこかにもし影ができたなら 譲れることはないか 光はどこにあるか話し合えばいい」「この世に存在するだけで希望を持てるよ」

⑥ イメージの詩:吉田拓郎
「たたかい続ける人の心を誰もがわかっているなら たたかい続ける人の心はあんなには燃えないだろう」

⑦ ファンタ―ナモーレ:Snow Man
「全て楽しめるというTheory」

⑧ Fruits:坂口有望
「歩んできた道が見えないのは 超えてきた壁があるからさ」

⑨ 夢をかなえてドラえもん:mao
1番が有名やけど2番も素敵。「僕らの未来 夢がいっぱい溢れてるよ」

⑩ ビンクスの酒:「ONE PIECE」より
「何をくよくよ 明日も月夜」「どうせ誰でも いつかはホネよ」
笑顔をくれる!笑顔じゃないと歌えない曲。

⑫桜月:櫻坂46
「大人になって 夢や理想が思うようにならなくなっても あんなに美しい散り方ができたらな」
思うような人生じゃなくても、散ることにさえ希望があると思えた曲!

⑬最終の地下鉄に乗って:櫻坂46
「今すぐ死んだりはしない 急がなくたって そのうちみんな死ぬんだから」
大学生の今、未来に希望を見出せなくても、ただ生きているだけで良い!

⑭国境のない時代:坂道AKB
「世の中が変わり いつしか人が人を愛せない日が来たら立ち上がろう」

⑮yume日和:島谷ひとみ
「星をならべて空のボタン 夜のカーテンをとめてあげる」
どんなに眠れない夜も、この歌詞ですこし安心できる

読んでくださってありがとうございました。
↓おすすめのMV見てくださると嬉しいです。

自殺してしまった主人公が、悩みを抱える人々を助けにきます。1人1人役があるので(いじめられっ子、DV被害者、家族の介護、就活生、ネグレクトされた子ども など)メンバーの表情にも注目してください!

(8期生 たまちゃん)

【vol.148】本質と側面(8期生 ひな)

お久しぶりですひなです~

2023年末にもブログ書いたんですけどね。大急ぎでね。
あのときの内容はタイムマネジメントだったかな。
2024年は割と余裕のある生活です。まだ1月だけど。

今回は「本質と側面」についてです。

これを書こうと思ったのは、就活関連のメールが多すぎて、パソコンのメールフォルダを整理していたら懐かしいものを見つけたからです。
2021年4月21日。まさかの1回生。若ぁ~。
講義を聞いてふと考えたことというか、ずっともやもやしてた事というか。
これを先生はどう考えますか?っていう中々挑戦的なメールでしたわ。ようやるよな。

その時ずっと悩んでいたのは「偽善」について。小学校4年生の時に言われた「偽善者だね」の言葉を私は大学1年生になっても忘れることができていませんでした。
理由は傷ついたからと言うより、腹が立ったから。笑
だって私そんなこと言われる筋合いないわって思ってたから。
でも、その時の私は「私は偽善者じゃない」と言い切れませんでした。
何故か?
「偽善者じゃない」と思いながら、「果たして100%偽善者じゃないと言い切れるのか?」と思っていたからです。
100%善意だなんて言い切れるんだろうかと考えてしまった小学4年生のひなちゃんは、
「偽善者だね」と言われたとき、ただ黙る事しかできなかったんですねーーー

さて、これに対して先生がくださったお答えは、「偽善」か「善意」かは目に見えるものでも無く、自分の心の話なので、相手に「証明」する事はほぼ不可能に近い。でも、「うまく説明」することはできるという話でした。
このとき頂いたうまい説明については、今回の内容は少しずれるので省きますが、同時に教えていただいた「本質と側面」という考え方について、とても救われたので、ここで紹介します。

「本質と側面」について。

私が「善意」で行なった行動は私にとって間違いなく「善意」なんです。
「偽善」かも知れないと感じたのは、「ほんの一部の側面」に過ぎないと言うことです。

本質は「善意」、側面は「偽善」。

私が相手のために取った行動は、一部に「偽善」があったからといって、全て嘘な訳ではないし、「全てが偽善」であるわけでもないんです。そんな少しの側面に怖がらなくてもいいんです。

このメールを見返したとき、改めてこの「本質と側面」について考えました。

私は今、人生で一番優しい環境で生きています。
これは断然します。めっっっっっちゃ優しいでな!!!
何故なら、「考え方、意見、容姿全てにおいて否定されない」環境にいるから。
自分と違う考えに出会った時、「それおかしいよ笑」とか、「何その考え笑」とかっていう
否定的な意見に出会うことがあると思います。
でも、今の環境は「私は違うけど、あなたはそうなんだね」という、違いをそのまま受け折れてくれるものなんですね。やー生きやすいのなんのなんのって。
こんな優しい環境にいると、「自分も優しくありたい」と思うわけですね。

でも、ここで私はまた新たな悩みにぶつかってしまうんですね。
「優しくありたい」があまりに、相手の気持ちを考えすぎて自分の気持ちが分らなくなってしまうということです。
例えば、相手になんとも酷いことや不快なことを言われたり、行動をされたりした時、
何でそんなに酷いことするの!と怒りの感情を持ちながらも、「でも相手には私には思いつかない考えがあるのかも」と考えてしまい、「果たして相手が100%悪いんだろうか。私も悪いところがあったんじゃないか。こういう対応をされる要因があったんじゃないか」と、怒りきれない事がありました。

「優しく在る」とは、「自分の考えも否定しないで、相手を否定しない。違いをそのまま受け入れること」であったはずが、「相手を否定しないこと」とはき違えてしまったんですね。
「自分の考えも大切にすべき」はずなのに。

本質は「相手の行動に私は怒った」と言うことです。「相手ももしかしたら、私に対してなにか思うことがあったのかも…」と考えた側面があったとして、それは一部の側面なんです。
例え私に非があったとて、私を傷つけていい理由にはならないんです。
「私に対して悪いことをした」という事実があり、「相手の行動に私が怒った」という本質がるなら、側面を気にしすぎないで、怒っていいんです。
まぁ、怒り方は要注意ですけどね。

要は、「側面」を気にしすぎなくてもいいんですねー

さて、この文章を読んでくださっている方の中で、周りに優しく在り過ぎて、自分が言いたいこと、やりたいことがうまく主張できない人、できなくなっている人がいたら、このブログがちょっとでも刺さっていたら嬉しいです。
「本質と側面」どっちがどっちなのか、側面を気にしすぎていないか。自分の考えを大切にできているのか?
たまには考えてみても面白いかも知れません。

これからも寒い日々が続きそうですが、暖かくご自愛してお過ごしください。
以上ひなでした!

(8期生 ひな)

【vol.147】追われる大学生(8期生 紫苑)

こんにちは。紫苑です。
紫苑という名前にはたくさんの思い入れがあります。前回のブログでお話しさせていただいたんですけど、改めて少しお話しようと思います。

紫苑というお花が私はとても好きです。秋になると紫色の可憐な花を咲かせます。そして初恋の人の誕生花でもあります。なにより、私が1番好きな本の主人公の名前です。そのような理由で高校生で文芸部に所属していた際、ペンネームとして、「紫苑」を使っていました。だから文章を書こう、と思うと「紫苑」の名前がしっくりくるのです。

さて、名前についてご説明できたところで、今回のブログは何について書いていくのかお話しようと思います。本来、ブログを書く前にゼミでフリートークをして、それについて書くのが普通の流れなのです。しかし、私がしたフリートークが家族についてでしたので、かなりプライベートな内容ばかりになってしまいました。ブログで書いていいものか悩ましいことも多く、それらを端折ってしまうとなかなか薄っぺらい内容になってしまいそうです。これはテーマ設定をミスしてしまいました。反省しています。

そこで、今回は私自身が最近悩んでいることについて吐露させていただきたいと思います。

私の悩みとは、自分の時の流れと世間の時の流れにギャップがありすぎることです。

色々なことに常に急かされているように感じてしまうんです。私は1歩進むのに1ヶ月かかるとして、世間は1ヶ月あれば5歩は進まないと進級、就職、大人へのステップアップに置いていかれるぞ、と常に訴えてくるみたいです。

大学4回生を控えた今、本当に時間ってないのだと毎日思います。最近まで大学に入れてよかった〜とのほほんとしていたはずなのに、もう次のステージの準備です。早すぎる。

大学に進学しなかった友人は、もう自分よりかなり大人に見えます。大学の周りの友人は内定をもらった子もたくさんいます。全てが自分より早く進む。焦って苦しくなって、何度も全てやめてしまいたくなっています。大人へのステージアップだけではありません。バイトもゼミも恋愛もサークルもなにもかも、タスクが無限にあるみたいで溺れそうな毎日です。

これをこなした先になにがあるのでしょうか。頑張った結果もっと頑張らないと生きていけない世界に放り出されるなんてことはないでしょうか。

今までのステップアップは、ある程度予想できた未来でした。ここからは完全に未知の領域です。それを楽しもうと思える心をあと1年かけてつくっていこうと思います。無理だったならそれはそれで、なんとか生きていこうと思います。

このブログを見てくださっている大人の皆さん。大人は楽しいですか?大人はいいものですか?私たちが大人だと思っている人たちは、大人ですか?

(8期生 紫苑)

【vol.146】私の「頼れる人」(8期生 たまちゃん)

こんにちは!たまちゃんです!ブログを書くのは1年以上ぶりなので、少々緊張しておりますが、温かい目で、心で読んでいただけると嬉しいです。

5歳から始めた柔道は15歳のときに怪我をして辞め、高校では弓道部に入りましたが、コロナで最後の総体は中止になりました。そんな私は今、フットサル部で部長をしています。正直、これまでのどのスポーツ人生よりも充実しています。週2回しか活動がなかったり、強制参加じゃなかったり、大会など目指すものがなかったり、負けても怒られることがなかったり。高校までは、当たり前に全国大会を目指す環境にいたので、そんな今が「楽」で仕方がありません。でも、「楽」なだけでは、充実しているとは言えませんよね。今回のブログは、私のフットサル部としての活動を、充実に導いてくれた2人の先輩についてお話します。読んでくださる方のほとんどに関係のない内容なので、ここで閉じていただいても構いません。興味のある方だけ読んでください!欲を言えば、2人には届きませんように(恥ずかしいので)。

私は性格上、人を頼ることが得意ではありません。たくさん仕事を抱えても、「手伝ってほしい」の一言が言えないし、友達に悩みを相談することなんて滅多にありません。そんな私にとって、先輩2人に囲まれたフットサル部は、最強の場所でした。

1人目は、唯一「この人なら頼ってもいいかな」と思わせてくれる先輩です。私の前に部長を務めていた方なのですが、なんとなく私に似ているところがあります。1人でやるには多いけど、他人にお願いできない。みんなも忙しいだろうと想像して、結局1人でやってしまう。そんな性格を共有して、助け合っていました(私が一方的に助けられていただけかもしれませんが、私も少しでも先輩の役に立っていてほしいという願いを込めて)。いつ、何を相談しても、頼っても、快く引き受けてくれる。先輩のおかげで「人を頼る」ことのハードルが少し下がったような気がします。ありがとうございました。

2人目は、私が頼らなくても、頼らせてくれる先輩です。「手伝ってほしい」が言えない私ですが、そんな言葉を発さなくても、いつでも手伝ってくれる。この人はたぶん、第三の目が開眼しているのだろうと思います。人は「楽しい輪」に入ると、周りが見えなくなることがあります。私だってそうです。「自分が楽しければそれで良い」を潜在的に成し遂げてしまう。それは決して悪いことではありません。でも先輩は、「楽しい輪」に入っていても、周りを見ることができる。その輪から外れることができる。私もそんな人になりたいと、本気で思っています。

もし私が、鬼ヶ島に鬼退治に行くなら、きびだんごはこの2人にあげたいし、イーストブルーで出会っていたら、絶対にこの2人を両翼にしたい。そんな、私にとって最強の布陣が、もう少しで終わりを迎えます。普段は泣くことのない私ですが、この2人の卒業を思うと、涙だって出てきます。そんな大好きな2人の先輩に、心温まる日々が待っていますように。辛いことがあっても、味方でいてくれる人に出会えますように。ご卒業おめでとうございます。本当に、本当にありがとうございました。

(8期生 たまちゃん)

【vol.145】彼氏彼女ってほんまに必要?(8期生 SuperMukkun)

ただいま、THE MANZAIというお笑い番組を見て、笑いに笑いまくれ、非常にスカッとした気分になっております。SuperMukkunです。
特に、テンダラーという漫才師はいつ見ても面白いですね。テンポ感とボケの表情とツッコミの声量。私の好みに抜群にミートしてきます。
ほんまあーゆーの好き。
……

好き。かー

ここ数年彼女がいないためか、こんな素敵なフレーズを口にする機会が減ってしまった気がする。別に恋人に対して言わなくても、素敵なフレーズであるには変わらんし、独り身の私自身も色んな人や物事に対して口にしている言葉ではあります。ただ、恋愛的な意味の「好き」という言葉は、いつから言ってないだろうか。思い出せんくらい、言ってないし、思ってもないんですね。けど、一応自称ロマンチストやってます。運命信じてる系男子です。高校生の時はオオカミちゃんとか見てたし、今でも恋愛系の映画とか漫画も普通に好きですよ。

とにかくね、恋愛的な意味での「好き」とはしばらく縁がないのです。端的に言うと彼女がしばらくいないわけです。「君は優良物件だよ」と気を利かせて、僕を励ましてくれる人がいるおかげで、クリスマスも全く人肌恋しくないと自分に言い聞かせられそうです。
でもね、そもそもね、クリスマスを恋人と過ごす必要はないとは思うんです。私が言うと、強がってるようにしか思われないでしょうが。

さらに言えばね、彼氏・彼女って概念自体に「んー。」って思う事さえあります。なんで恋をしたら付き合うことに憧れ、彼氏やら彼女やらっていう役割を担わなければいけないんだろう。私自身も中学生の時も高校生の時も青春してた訳ですから、そういうのに生きがいを感じてました。感じてましたが、大学生になり色んな方と関わる機会ができたことで、どうしても「彼氏」という役割を担うことが私の活動の足枷になるように感じてくるようになりました。

さあここで、たくさんの反論を皆さんから頂きましょう。

「そんなことないわ」
「彼女おらんから皮肉れちゃってんのじゃない」
「いい人が見つかったらそんなこともなくなるって」

などなど。リア充からも非リア充からも色々言われるでしょう。
そういった意見があることは認めますし、「まあそーやけどさ。」って返答しちゃうっす。
確かに数年前付き合ってた時、楽しかったなーって思い出がいくつもあります。付き合えた日なんてこの上ない喜びでしたよ。

しかし、今の自分の生活に「恋人」という存在が戻ってきたとしたら、あらゆる事に罪悪感が伴ってしまうのです。「いいよ」といわれても、良くない気がして、今の生活とは違った意味であらゆる事をする羽目になるなと。

そして、「今自分の求める存在が別に恋人じゃなくてもいい」というのが、さらなる理由です。寂しくなった時に寄り添ってくれる人とか、自分のことを好きでいてくれる人とか、別に恋人じゃなくてもいいですよね。むしろ、そういう存在を恋人に限定しちゃう方が、色んな人の気持ちに気づきにくいんじゃないでしょうか。今この文を読んでくれてる方々で、恋人を探してたり、絶賛交際中の人がいるなら、もう一度恋人に求めるものがその人でなくてはならないのか考えて見てほしいです。その人と付き合う必要ないくない?とか言いたいんじゃないです。他にも自分に同じような事をしてくれる人がいる可能性があるんじゃないかなと思ってみるのはどー?って言いたいだけです。

はあ。それでも恋とか愛とか、恋愛ってものにはすごい魅力があるよなー。

もうわかんないや。
だれか運命の人が現れることに、僕の恋愛の行方を託したいと思います。

皆さんの恋愛に幸あれ。私の未来の恋愛にも幸あってくれ。

(8期生 SuperMukkun)

【vol.144】自分のアイデアが採用されることって怖くない?(8期生 らいりー)

こんにちは♪
3回生のらいりーです。
約1年ぶり、久々のブログです。

さて、今回フリートークのテーマはタイトルの通り、「自分のアイデアが採用されることって怖くない?」です。

複数人で何かを決める時、各自アイデアや意見を出して、そこから一つを選ぶことって、様々な場面でみられると思います。

例えば、遊びに行く場所やご飯屋さんを決めるとき。
グループワークで一つの意見を出すとき。

ある時、ゼミで企画を考える際に、私の出したテーマで決定してしまうことがありました。
そのとき、本当にそれでいいのかな?とか、もっと他にいいテーマがあるんじゃないか?とか、もしそれで失敗してしまったら?とか、色々不安に思ってしまいました。

そもそも、私はおもしろいアイデアをよく思いつくタイプではありません。でも、何も意見を出さないのも申し訳ない。なので、とりあえず一つは…と考えて、あまり良い意見ではないと分かりつつも、形だけ出すことが多いです。

自分のアイデアが通っても全く嬉しくなく、むしろ、選ばれてほしくない、別の人のものに決まるとほっとしてしまう部分もあります。遊ぶ場所やご飯屋さんを決める時も、情報を持っていないので、候補が出てきません。そして、結果としてあまり良いアイデアを出せないので、私のアイデアが通った経験も少なく、余計に怖く感じてしまいます。

この話題で、ゼミのみんなにどう思うか聞いてみました。

自分がいいと心から思える意見しか出さないので、不安に思うことはなく、採用されるつもりで出す、と話す人が何人かいました。また、事前に考える時間がある場合は、満足できるものを思いつくまで考えられるので、自信をもって出せるという意見もありました。

ゼミで、次回までに各自案を考えといてと言われることがあります。そんな場面で、私はとりあえず考えたとは見られるように、事前に考えてはくるものの、短時間で考えた、自分でも自信のないものを出していました。そして、どうせ時間をかけてもいい案を出せないし、他の人の方が良い案を思いつけるので、それでも構わないと考えていました。

しかし、そうではなく、たくさん考えて自分が納得できる案を思いつき、採用されるつもりで出す人もいると知って、自分の意識の低さを反省しました。そして、自分でも自信がないからこそ、採用されたとき不安に思ってしまう面があると気づきました。自信を持ってこれがいい!と思える案が出るまで考え抜けば、少しは不安が薄れるのではと思ったので、そんな人を見習って、今後は本当に採用されるつもりで考えてこようと思います。

じっくり練る時間がある場合と、その場で思いついたものを言いましょうとなる場合があって、その状況によって求めているもの違うという指摘もありました。じっくり考えたものではなく、ポロっと言ったことが通ると話す人もいました。そこから、確かにぱっといいアイデアが出てくるときもあるし、状況によってはゆっくり考えていられないと思いました。時間がある時はしっかり練ってきて、そうではない時は、とりあえず思いついたものを出してみるというように、状況に合わせることが大切だと思いました。

また、そこまで怖いと感じることについては、あまり共感を得られず、気にしすぎだという意見が多くありました。そう言われてやっと、自分が気にしすぎているだけかもしれないと思い始めたので、これからは、もうちょっと気楽に考えていこうと思います。

みんなのアイデアを出す時の考え方を知れて、不安をなくすために真似できる姿勢や、気にしすぎなのかもしれないことに気づけて、アイデアを出すことに少し前向きになれました(^^)周りの人の意見を聞いてみるって、とても勉強になると改めて感じたフリートークでした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
2024年、みなさんにとってさらに良い年になりますようお祈りしています。

(8期生 らいりー)

【vol.143】忘年しそびれた2023年(8期生 はなな)

こんにちは!
3回生のはななです。

みなさん、あけましておめでとうございます。
2024年もよろしくお願いいたします。

さて、年末年始はいかがお過ごしでしょうか?
私は、毎年年末に大阪で開催される某音楽フェスにスタッフとして泊まり込みで働いていたため、忙しすぎて気付いたら年を越しているという感覚でした。
そのフェスのキャッチコピーが「ロック大忘年会」なのですが、こっち(スタッフ)は忘年などする暇もありません。笑
せめて、このブログで2023年を振り返ってから忘年したいと思います。

私にとって2023年はとても平和な1年でした。
一昨年の2022年は事故にあったり、地震にあったり本当に災難な1年だったので、それに比べてかなり穏やかな1年を過ごすことが出来ました。

そんな2023年の中でも特に印象深いのは、旅行や遠征です。友達と行く旅行はもちろん、ライブやバイトでも何度か遠征に行ったので、それを含めると15回ほど遠出しています。
予定が詰まっている時だと、旅行から帰ってきた次の日にはまた旅行に行って、みたいなこともありました。

そこで私がゼミのフリートークで話した内容は「旅行や遊びに行って他人と過ごすときに、絶対に譲れないことや自分のルールはあるか?」というものでした。
こんなゆるゆるなテーマでごめんなさいと思いながらもみんな真剣に話してくれました。

まずは、予定は詰めるか、あまり立てないかという話題になりました。その中でも多く意見があったのが、家族と旅行に行くと宿を重視して宿でゆっくりする、友達と行くと予定を詰めるという意見でした。友達と旅行に行くとなる時点で何か目的があるから旅行に行くのではないのかなということと、より親しい家族であれば、ぼーっと何もしない時間があっても気を使うことはないからなのかもしれないなと思いました。私自身は、家族で行く旅行も友達と行く旅行もほとんどスタイルが変わらないので、なるほどなと新鮮に思いました。

また、街(東京)に旅行に行く時は1人だという意見も多くありました。私以外にも東京に1人旅に行っている人がいることが意外で驚きました。街は見るものも多く選択肢が多い故に、1人の方が身軽で行きたい場所に自分が居たいだけ居られる楽さが必要なのかなと思いました。
みんなの旅行への意識が聞けて面白かったです。

2024年は就活に卒論にと気が重くなることも多いですが、たくさん旅行して大学生のうちにしか経験できないことをやり切りたいなと思いました。
また、1月中には松岡ゼミでもフェスを開催するので、まずはそこに向かって頑張っていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

(8期生 はなな)